2008年03月
2008年03月30日
東(横浜)が下岡蓮杖なら、西(長崎)で初代職業写真師に名乗りを上げたのが上野彦馬(1838~1904)
幕末の志士や明治の高官の肖像写真を多く残したことで、知名度としては彦馬のほうがやや上回っているかもしれません。有名な坂本龍馬の肖像などは、一度は目にしたことがあるのでは。
写真史の解説書でもかならず取り上げられる二人ではありますが、やはり歴史物語である小説の方がより親しみが湧いてきます。

------------------------------------------
・写真術師 上野彦馬・
八幡 政男 著
1986年 マルジュ社
幕末の長崎海軍伝習所、オランダ人医師ポンぺのもとで化学を学んでいた彦馬は写真術に出会い研究を始める。
カメラ、感光材もすべて自作しなければならなかった時代、また資料も乏しいなかで、化学の知識と持ち前の探求心で撮影術を完成させる。日本最初の写真館「上野撮影局」を開設、多くの門弟も育て写真師として大きな成功を収めるが、家庭的には葛藤もあった元祖プロカメラマンの生涯。
----------------------------------------------------

・上野彦馬 歴史写真集成・
馬場 章 編
2006年 渡辺出版
\2,800-
日本史、特に幕末ファン必携の写真集
彦馬自身の肖像も収録された
一級の歴史的古写真100葉
下岡蓮杖は絵師見習いから艱難辛苦の末、写真館開業にたどり着いた苦労人でした。対する上野彦馬は裕福な家に育ち、先進の教育も受けた知識階級の出身。両人とも自身のポートレイトを残していますが、蓮杖の怪しげな山師然とした風情に対し、彦馬にはお大尽の風格のようなものを感じます。実際、功なり名を遂げ、財も得た彦馬は実子二人のほか、家庭外に三子をもうけ、さらに本妻の妹とのあいだにも一子という奔放な生き方をしたようです。仕事には熱心で稼ぎが有ってのことですから、なんとも羨ましい大先輩ですね・・とつまらないところで関心しつつ、本邦写真のパイオニアに最敬礼!
じゃぁ また
幕末の志士や明治の高官の肖像写真を多く残したことで、知名度としては彦馬のほうがやや上回っているかもしれません。有名な坂本龍馬の肖像などは、一度は目にしたことがあるのでは。
写真史の解説書でもかならず取り上げられる二人ではありますが、やはり歴史物語である小説の方がより親しみが湧いてきます。

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・写真術師 上野彦馬・
八幡 政男 著
1986年 マルジュ社
幕末の長崎海軍伝習所、オランダ人医師ポンぺのもとで化学を学んでいた彦馬は写真術に出会い研究を始める。
カメラ、感光材もすべて自作しなければならなかった時代、また資料も乏しいなかで、化学の知識と持ち前の探求心で撮影術を完成させる。日本最初の写真館「上野撮影局」を開設、多くの門弟も育て写真師として大きな成功を収めるが、家庭的には葛藤もあった元祖プロカメラマンの生涯。
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・上野彦馬 歴史写真集成・
馬場 章 編
2006年 渡辺出版
\2,800-
日本史、特に幕末ファン必携の写真集
彦馬自身の肖像も収録された
一級の歴史的古写真100葉
下岡蓮杖は絵師見習いから艱難辛苦の末、写真館開業にたどり着いた苦労人でした。対する上野彦馬は裕福な家に育ち、先進の教育も受けた知識階級の出身。両人とも自身のポートレイトを残していますが、蓮杖の怪しげな山師然とした風情に対し、彦馬にはお大尽の風格のようなものを感じます。実際、功なり名を遂げ、財も得た彦馬は実子二人のほか、家庭外に三子をもうけ、さらに本妻の妹とのあいだにも一子という奔放な生き方をしたようです。仕事には熱心で稼ぎが有ってのことですから、なんとも羨ましい大先輩ですね・・とつまらないところで関心しつつ、本邦写真のパイオニアに最敬礼!
じゃぁ また
(20:31)
2008年03月28日
寅さんの口上に「国の始まりが大和の国なら・・云々」とありますが「写真師(プロカメラマン)の始まりは・・・」には、
「東の蓮杖、西の彦馬」と続けなくてはなりません。
幕末に東(横浜)で下岡蓮杖(れんじょう)、西(長崎)で上野彦馬がそれぞれ写真館を開業。此の二人をもって我が国、職業写真師の嚆矢としています。僕たちの大先輩、本家本元ということです。
長崎、横浜という西洋文明が早くから伝わった街に、写真術も花開いたということです。もちろん二人の先達の並々ならぬ奮闘努力のたまものですが。
僕の口上では湧いた興味も、あせてしまいそうなので、ここはプロの作家にまかせましょう。
それぞれの「写真初めて物語」(小説)をご紹介しておきます。
まずは、東の下岡蓮杖(1823~1914)から
-----------------------------------------
・幕末写真師〜下岡蓮杖・
大島昌宏 著
1999年 学陽書房
狩野派の絵師として修行中の久之助(後の蓮杖)はある日、薩摩屋敷で目にした銀盤写真に心奪われ写真術を志す。故郷の伊豆下田で領事ハリスの通訳ヒュースケンより撮影術を、さらに横浜でアメリカ人写真師ウィルソンよりカメラを入手、暗室技術も学び、さらなる苦心の末写真館を開業する。幕末、明治を生きた初代プロカメラマンの生涯。
--------------------------------------------
下岡蓮杖は写真に絵の具で着色を施したり、絵師の経験を生かし景勝地の背景画を描いたり、外国人相手の写真館は繁盛したそうです。
後年、石版印刷、牛乳製造、乗合馬車営業にもその開祖として手を染めたことからも、苦労人だけにアイデアマンで「山っ気」も持ち合わせていた人物のようですね。このタイプのカメラマン・・いるいる今も。
蓮杖の故郷、下田には蓮杖写真記念館があり遺品が公開されています。ロープウェイで登る寝姿山自然公園内にあって、なんだか観光摺れした雰囲気でしたが・・・
さらに東京、豊島区の染井霊園(最寄り駅JR巣鴨、駒込)に蓮杖のお墓があります。本家に敬意を払ってお参りしたこともありました。ちなみに「染井」は、さくらの染井吉野ゆかりの地です。
本家、下岡蓮杖・・名前だけでも憶えていただけたら幸いです。
彦馬についてはまた今度。
じゃぁ また
「東の蓮杖、西の彦馬」と続けなくてはなりません。
幕末に東(横浜)で下岡蓮杖(れんじょう)、西(長崎)で上野彦馬がそれぞれ写真館を開業。此の二人をもって我が国、職業写真師の嚆矢としています。僕たちの大先輩、本家本元ということです。
長崎、横浜という西洋文明が早くから伝わった街に、写真術も花開いたということです。もちろん二人の先達の並々ならぬ奮闘努力のたまものですが。
僕の口上では湧いた興味も、あせてしまいそうなので、ここはプロの作家にまかせましょう。
それぞれの「写真初めて物語」(小説)をご紹介しておきます。
まずは、東の下岡蓮杖(1823~1914)から
-----------------------------------------・幕末写真師〜下岡蓮杖・
大島昌宏 著
1999年 学陽書房
狩野派の絵師として修行中の久之助(後の蓮杖)はある日、薩摩屋敷で目にした銀盤写真に心奪われ写真術を志す。故郷の伊豆下田で領事ハリスの通訳ヒュースケンより撮影術を、さらに横浜でアメリカ人写真師ウィルソンよりカメラを入手、暗室技術も学び、さらなる苦心の末写真館を開業する。幕末、明治を生きた初代プロカメラマンの生涯。
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下岡蓮杖は写真に絵の具で着色を施したり、絵師の経験を生かし景勝地の背景画を描いたり、外国人相手の写真館は繁盛したそうです。
後年、石版印刷、牛乳製造、乗合馬車営業にもその開祖として手を染めたことからも、苦労人だけにアイデアマンで「山っ気」も持ち合わせていた人物のようですね。このタイプのカメラマン・・いるいる今も。
蓮杖の故郷、下田には蓮杖写真記念館があり遺品が公開されています。ロープウェイで登る寝姿山自然公園内にあって、なんだか観光摺れした雰囲気でしたが・・・
さらに東京、豊島区の染井霊園(最寄り駅JR巣鴨、駒込)に蓮杖のお墓があります。本家に敬意を払ってお参りしたこともありました。ちなみに「染井」は、さくらの染井吉野ゆかりの地です。
本家、下岡蓮杖・・名前だけでも憶えていただけたら幸いです。
彦馬についてはまた今度。
じゃぁ また
(16:04)
2008年03月27日
NIKON D-3
ニコン初のフルサイズセンサー
1200万画素 \578,000-
AF-S NIKKOR 14-24G ED
解放F値F2.8広角
\285,600-
レコード聴いてノスタルジーに浸ってばかりもいられません。
霞を食べて生きて行くこともなかなか難しそうなのでシャッターも押さなくては・・・
ということで頭の中をアナログから一気にデジタルへと切り替えひと仕事してきました。カタログの撮影で最新のデジタルカメラを使用。昨秋の発売以来カメラマンのあいだで高い評価を得ているNIKON D-3です。
レンズはこれも新製品のワイドズーム(14~24mm)
対象は住宅メーカーの新商品。商品とは「家」そのもので、建築やインテリア撮影の領域です。この分野では大判の4X5サイズカメラを使うのが常道。僕も長い間そうしてきたのですが、2年ほど前にデジタルカメラに切り替えました。「もうフィルムに戻ることは出来ない」・・と云いきってみようかな。
かつて列車は石炭を燃やして蒸気機関で走っていました。その後ディーゼルから電気へ、さらにリニアモーターも実用間近です。いま蒸気機関車(SL)を走らせるのはノスタルジーでしょう。まぁそういうことです。
D-3は良くできたカメラだと思いますが今はレンタルで使っています。今秋発売が予想される時期バージョンD-3xを待っているからです。これで「ひかり」から「のぞみ」程度の格上げが出来そうです。フリーランスとしては、たまには急いでるフリでもしてみせないと呼んでもらえなくなるんですね(結構たいへんなんですよ!)
そのD-3でどんな写真を撮ったのか見せてみろって云われても、発表前の新商品ですよ!守秘義務ってものがあってここでは紹介できないのがザンネ〜ン。
細かいスペック、使用感については巷にいろんな本が出てますのでそちらをご覧下さい。少なくとも僕より真面目な人たちが書いてますから・・
じゃぁ また
(16:21)
2008年03月25日
ベニー・カータージャズ・オールスターズ
ライブ・イン・ジャパン(LP)
1977年4月29日
豪華メンバーでの来日公演
新宿厚生年金会館で収録
スイング時代の3大アルト奏者のひとり、ベニー・カーターが自身3度目(多分)の来日を果たしたのが1977年4月。ジャズ・オールスターズと銘打った豪華メンバーを率いての公演は話題になりました。
残念ながらコンサートの方は見逃してしまいましたが、FM放送で聴くことが出来ました。
当時、FM放送は貴重な音源。特にコンサートの実況録音やスタジオライブはエアチェックの素材として申し分なく、少しでも良い音で残そうとしたものです。カセットテープによる録音に限界を感じ、オープンリールデッキを購入したのもこの頃。届いたばかりの真新しいデッキにテープをセットして録ったのがこの番組でした。
デンオンライブコンサート
FM東京(現TOKYO FM)で毎週日曜の午後(15:00〜)放送の生演奏プログラム。司会はオーディオ評論家、録音エンジニアの菅野沖彦氏。
1977年4月24日の放送に登場したのが、ベニー・カーターのオーケストラ。全国ツアーの合間を縫ってFM東京のスタジオで生演奏、そのまま放送されました。番組を丸ごと録音したので、菅野氏のMCやベニー・カーターへのインタビューなどもそのまま残りました。
曲の間のバンドの息づかいなどもクリアに収録されていて
レコードよりこのテープを聴く機会が多かったかもしれません。
デッキ : SONY TC-R6
チューナー:TORIO KT-7700
テープ : SONY SLH-550
放送された音楽は一瞬、僕の部屋の空気を振動させて、そのまま消えてしまうはずのものでした。でも僕の指が録音ボタンを押したため、その音楽は磁気信号としてテープに記録されました。
今TC-R6にこのテープをかけて再生するとき、部屋の空気はあの時と同じように振動し、あの時の音が聴こえます。あの4月の下旬、もう初夏を思わせるような日曜の午後の空気の匂いまで甦るような気がします。
このテープのように手元に残ったものと、いつの間にか失ってしまったものの間にどんな違いが在ったのでしょうか。何を残し、何を捨てるかということ・・・同じ指で再生ボタンを押し、時空を越えてよみがえるベニー・カーターの音楽を聴きながらそんなことを思ってしまいました。
じゃぁ また
(20:40)
2008年03月13日
菓子屋さんの店先がなにやら賑やかです・・そうか明日はホワイトデーですね。では先月のバレンタインの頃、ちょっとふれたチョコレート・ダンディーズを率いたベニー・カーターについてもう少し。
(2/13「チョコレート」参照下さい)

THE CHOCOLATE DANDIES( CD )
ドン・レッドマン、後にベニー・カーターが率いたレコーディング・オールスターズ。1928〜40年、初期黒人スイングバンド「チョコ・ダン」の演奏集。カーターのThe Varsity Seven名義の3曲も収録。CD:JAZZ ArchivesシリーズNo.67
ベニー・カーター(1907〜2003)はスイング時代には三大アルト奏者の一人と謳われた名プレイヤーで、作編曲者、バンドリーダーです。アルトサックス以外にもトランペット、テナー、ピアノ他11種類の楽器をこなすマルチプレイヤー。20年代からJAZZ史を通して活躍した歴史的巨人でした。亡くなったのは数年前、95歳の時。
流麗なアルトソロ、トランペットをアナログサウンドで堪能するならこのレコードで。(CDも出ていますが・・・)
SWINGIN' THE '20s( LP )
(1958年 CONTEMPORARY )
ベニー・カーター ( as tp )
アール・ハインズ ( p )
リロイ・ビネガー (b )
シェリー・マン ( ds )
20年代のスタンダード曲を同じく20年代から活躍するハインズとの共演で。とにかく「粋」です。
ベニー・カーターはその長いキャリアのなかで数回来日しました。とくに1977年4月の全国公演はジャズ・オールスターズという豪華メンバーを率い大好評を得ました。そのうち新宿厚生年金会館での演奏がライブ盤LPとして残っています。
僕はこの時の公演を観ていません。それでもこの後、繰り返し聴いてきました。手元に未発売のライブ演奏が残っているからです。あのエアチェックというかたちで、オープンリールで・・・
そのことは、また今度。
じゃぁ また
(2/13「チョコレート」参照下さい)
THE CHOCOLATE DANDIES( CD )
ドン・レッドマン、後にベニー・カーターが率いたレコーディング・オールスターズ。1928〜40年、初期黒人スイングバンド「チョコ・ダン」の演奏集。カーターのThe Varsity Seven名義の3曲も収録。CD:JAZZ ArchivesシリーズNo.67
ベニー・カーター(1907〜2003)はスイング時代には三大アルト奏者の一人と謳われた名プレイヤーで、作編曲者、バンドリーダーです。アルトサックス以外にもトランペット、テナー、ピアノ他11種類の楽器をこなすマルチプレイヤー。20年代からJAZZ史を通して活躍した歴史的巨人でした。亡くなったのは数年前、95歳の時。
流麗なアルトソロ、トランペットをアナログサウンドで堪能するならこのレコードで。(CDも出ていますが・・・)
SWINGIN' THE '20s( LP )(1958年 CONTEMPORARY )
ベニー・カーター ( as tp )
アール・ハインズ ( p )
リロイ・ビネガー (b )
シェリー・マン ( ds )
20年代のスタンダード曲を同じく20年代から活躍するハインズとの共演で。とにかく「粋」です。
ベニー・カーターはその長いキャリアのなかで数回来日しました。とくに1977年4月の全国公演はジャズ・オールスターズという豪華メンバーを率い大好評を得ました。そのうち新宿厚生年金会館での演奏がライブ盤LPとして残っています。
僕はこの時の公演を観ていません。それでもこの後、繰り返し聴いてきました。手元に未発売のライブ演奏が残っているからです。あのエアチェックというかたちで、オープンリールで・・・
そのことは、また今度。
じゃぁ また
(18:56)
2008年03月06日
明後日(3/8)いよいよサッカー国内リーグ(Jリーグ)2008シーズンの開幕です。ホームとアウェイ合わせて34試合、途中カップ戦をはさんだ熱い戦いが始まろうとしています。先日チーム激励会で首位奪回を狙う選手、監督、コーチ、スタッフに会ってきました。サポーターともども準備OKです。

・シーズンチケット・
リーグ戦ホーム17試合分とナビスコカップ予選リーグがセットになっている年間指定席。毎年これが届くと開幕も間近、気持ちが高揚してきます。サポーターであること、チケットホルダーであることに誇りを持っていざスタジアムへ!
さらに気持ちを完全サッカーモードに切り替えるべく、フットボールムービーで盛り上げます。
シーズンチケット(PURELY BELTER)
2000年/イギリス
プレミアリーグ、ニューカッスルの熱狂的サポーターで落ちこぼれの少年二人がひたすら求めたのはシーズンチケット!
労働者階級、不況、失業、不登校、友情、父親と息子、アラン・シアラー、UKミュージックも詰め込んだイギリス映画です。社会風刺も入った「ブラス!」のマーク・ハーマン監督作品。
マイケル・ナイマンの曲(Molly)が流れ、少年二人が語るサッカー観戦の思い出「父さんのコート」・・・泣けますね。サッカーの祖国、サッカーが文化として根付いている国の物語。そしてサポーターならずとも感動のエンディング。僕も鑑賞回数の記録更新中の作品です。どうぞ!
DVDのパッケージには日本の配給会社がつけたコピーで「涙が出そうになった時、ぼくらはスタジアムの風を想う。」とある。
映画とサポーターの想いをうまく表しています。
週末をスタジアムで過ごすようになって10年、良いことばかりが有る訳じゃない日々の暮らしの中で、僕はたしかに「スタジアムの風を想う」瞬間がある。
じゃぁ また
・シーズンチケット・
リーグ戦ホーム17試合分とナビスコカップ予選リーグがセットになっている年間指定席。毎年これが届くと開幕も間近、気持ちが高揚してきます。サポーターであること、チケットホルダーであることに誇りを持っていざスタジアムへ!
さらに気持ちを完全サッカーモードに切り替えるべく、フットボールムービーで盛り上げます。
シーズンチケット(PURELY BELTER)2000年/イギリス
プレミアリーグ、ニューカッスルの熱狂的サポーターで落ちこぼれの少年二人がひたすら求めたのはシーズンチケット!
労働者階級、不況、失業、不登校、友情、父親と息子、アラン・シアラー、UKミュージックも詰め込んだイギリス映画です。社会風刺も入った「ブラス!」のマーク・ハーマン監督作品。
マイケル・ナイマンの曲(Molly)が流れ、少年二人が語るサッカー観戦の思い出「父さんのコート」・・・泣けますね。サッカーの祖国、サッカーが文化として根付いている国の物語。そしてサポーターならずとも感動のエンディング。僕も鑑賞回数の記録更新中の作品です。どうぞ!
DVDのパッケージには日本の配給会社がつけたコピーで「涙が出そうになった時、ぼくらはスタジアムの風を想う。」とある。
映画とサポーターの想いをうまく表しています。
週末をスタジアムで過ごすようになって10年、良いことばかりが有る訳じゃない日々の暮らしの中で、僕はたしかに「スタジアムの風を想う」瞬間がある。
じゃぁ また
(19:30)
2008年03月01日
THRILLER / Michael Jackson
1982年 CBS(LP)
THRILLER 25 / Michael Jackson
スリラー25周年記念
リミテッド・エディション
2008年 EPIC(CD+DVD)
ギネスブック認定「史上最高セールスアルバム」THRILLERの
25周年(2007年)記念特別仕様CDが発売されました。
未発表7曲が追加、さらにビデオクリップDVD付き。
店頭でCDを手にとって、25年の歳月を振り返りながらフラフラとレジまで進んでしまいました。
1982年ですか!ついこのあいだの事のような気もしますが・・・
「スリラー」が懐かしいという世代は、若い方でもそろそろ中年と呼ばれる年頃でしょうか。
ただしこの25周年記念版はそんな中高年をねらったリバイバル企画ではなさそうです。実際今の高校生あたりにもマイケルファンは思ったより多く、曲もダンスも受け入れられているようです。でも25年だって過ぎてしまえば昨日の夢。
マイケルやEXILEで踊ってる少年達よ・・・「少年老い易く学成り難し・・」
ホントに速いんだからネ・・
中高年の方には1982年の映画でもう一度あの時代を振り返って頂きましょうか。
ブレードランナーリドリー・スコット
遊星からの物体Xジョン・カーペンター
蒲田行進曲深作 欣二
転校生大林 宣彦
どうですか?「一寸の光陰軽んずべからず」ですね。
じゃぁ また
(17:43)
