2009年07月05日

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埋もれた過去ログを掘り起こし、今一度検証し直すという
反則技「Archiveプラスシリーズ」第2弾!です。

「1953年問題」〜2007年12月19日 記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53年映画著作権消滅〜最高裁 格安DVD認める.。(本日:朝日新聞)
1953年公開の映画「シェーン」が改正著作権法の適用を受けるか否かで争われた訴訟で最高裁は「公表後50年を経過して著作権は消滅」の判決。早い話、格安DVDの販売が出来ることになったわけです。
映画著作権の保護期間を公表後50年から70年に延長したのが改正著作権法。2004年1月1日施行の同法を1953年公表の映画にも適用したい映画会社、パブリックドメイン(公有財産)としてDVDを安く売り出したい販売業者。
なんでも2003年12月31日の24時と2004年1月1日の0時は「同じ日」か
「別の日か」という「空白の1日」どころか「空白もない一瞬」の解釈で争われていたらしい。

たしかに1953年は人気作の多い年でしょう。
うちにあったのは
ローマの休日







LPレコードサイズですがレーザーディスクです
・問題の「シェーン」ほか「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」
「バンドワゴン」「地上より永遠に」
DVD
第十七・・などはなかなか入手困難な物だったのですけど・・

格安DVDで手軽に名作を鑑賞出来るのは結構ですが、画質や音質の低下、トリミングの変更等オリジナリティーが損なわれないようにしてほしいところです。今のところ格安DVDを買ったことはありませんが、魅力は感じてます。

好きなイタリア映画からも53年作品2枚
終着駅







ヴィットリオ・デ・シーカ 「終着駅」
(監督、ロケ場所イタリアのアメリカ映画かな?)

フェデリコ・フェリーニ 「青春群像」

ところで、映画の著作権保護期間70年をどう思うかと問われれば・・
僕自身、映像業界の片隅に居る人間ですし、知的財産保護には敏感にもなります。コピー文化には馴染めませんが、ただ70年という時間のみを考えたとき、今身のまわりで起きているのは新品も2〜3年で使えなくなるアップデート文化です。70年は想像の域を越えていて、ちょっと長いような気もしています。
上の1953年(昭和28年)7作品を観ながらもう一度考えてみましょうか
            
・・・・・・・・・・・・・・・・・以上過去ログでした。

ということで、今回はじめて「格安DVD」を入手しました。
問題の1953年作品「シェーン」です。
画像の状態など確認した上で改めてご報告致します
もうしばらくお待ち下さい。

じゃぁ また


(17:50)

2009年05月17日

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撮影が終わった頃から、雨が本降りに。
近江八幡の商人屋敷町、雨の八幡堀の景色です
近江路の締めくくりに、たまには一枚の写真に語らせてみましょうか。

hatimanR































まだまだあちこち行き足りない近江の国です
また今度、きっと。

じゃぁ また

(23:10)

2009年05月15日

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nagahama1 長浜城
別名:今浜城
滋賀県長浜市公園町10-10
築城:天正3年(1575年)
城主:羽柴秀吉
昭和58(1983)年再建(模擬天守)
長浜城歴史博物館

一週おいて、2度目の近江路は米原から北へ北陸本線(琵琶湖線)で長浜へ。信長から北近江を与えられついに城持ちの大名になった木下藤吉郎あらため羽柴秀吉の出世城「長浜城」へ。
琵琶湖の水運を利用し、城を中心に商業を発展させるため湖畔に築かれた水城とよべるものでした。
いつもながら再建の模擬天守、歴史を偲ぶアイコンのお城にも登って出世気分を味わいました。
  
 再建天守         秀吉と(石田)三成出逢いの像
nagahama2nagahama5






天守から城下と伊吹山方面    彦根、安土方面
nagahama4nagahama3








harima-2

「〜城を歩く」長浜城での司馬作品は
「播磨灘物語」「功名が辻」
それぞれ黒田官兵衛と山内一豊のおはなしですが秀吉の長浜城とは切り離せません。山内一豊も山崎合戦後この長浜城を譲り受け、一城の主へ最初の足がかりとしました。






城下を歩いてみると旧北国街道沿いの古い商店、町家をそのまま生かしたショップが並び、休日のにぎわいが想像出来ます。
nagahama6nagahama8


nagahama7nagahama9










明日は野洲と京都で仕事があるので今夜の宿は大津です。また琵琶湖線乗って南(京都方面)へ。このところ何度か往復している琵琶湖線ですが、左右の車窓には水田、麦畑が広がりのどかです。ちょうど田植えが終わり、水を湛えた水田に民家や山の木々、空と雲とが逆さに映り込む景色は日本の原風景をみる思いです。
なんかすっかり滋賀県ファンの写真屋さんです。

じゃぁ また  ・・・つづく

(22:18)

2009年05月10日

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 5月中に3度、滋賀県を訪れることになりました。
淡海琵琶湖を抱える戦国史の舞台、近江の国です。
関西方面への出張といえば大阪、京都に宿を取ることが多く「のぞみ」に乗っては素通りしていた近江地方。今回は「ひかり」を米原で下車、
東海道本線(琵琶湖線)に乗り換えて、やっと念願の近江散歩です。
その第一日目は、日本の歴史区分にその名を残す安土へ。とはいえJR安土駅は急行も止まらない小さな駅でした。目指すはもちろん安土城
お城歩きを始めた以上、織田信長が天下統一の拠点として築いた城、昨今の戦国武将ブームにおいても常にダントツ一番人気の信長の城(跡)を外す訳にはいかないので。
そういえば分冊百科事典のデアゴスティーニから「週間 安土城をつくる」という90分の1スケールの模型が発売中(現在17~8号)です。110週2年の月日と16万円以上の費用をかけてまぼろしの城を組み立て中の人が全国に多数いらっしゃることに改めて信長人気を思い知らされます。

(国指定特別史跡)安土城跡
滋賀県蒲生郡安土町             大手道
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OUMI
「司馬遼太郎と城を歩く」
安土城で取り上げられた作品は
「街道をゆく第24巻〜近江散歩」
その14年前、シリーズ第一巻も近江(湖西のみち)から始まる
「街道をゆく第1巻」
帯の引用をみて下さい・・



nobunaga
信長モノは数多くありますが・・
国盗り物語後編〜司馬遼太郎
下天は夢か 1~4巻〜津本 陽
決戦の時 上下巻〜遠藤周作
本能寺 上下巻 〜池宮彰一郎
信長の棺 〜加藤 廣  等々
・・・素材良ければハズレなしってところかも


天守閣跡           天守台座の遺構
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琵琶湖方面          西の湖方面

 城が築かれた安土山は標高199m、歴史小説には石垣用の石材運搬の様子が出てきますが、実際に登ってみると当時の困難さを実感出来ます。大変な石の量です。
権力の象徴としての天守閣という構造物をもつ、近世城郭の嚆矢、安土城も完成から僅か3年、天下統一を目前に本能寺に倒れた主人を追うように焼失してしまいました。
こうして史跡,戦跡に立つと、場所も時代も違っていますが、芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」を想い出さずにはいられませんね。
 今夜の宿は近江八幡。近江は戦国の道の他にも「近江商人」発祥の地
そちらへも廻ってみましょう。
それにしても、のどかな風景に心休まる近江路です・・・つづく

じゃぁ また

(22:16)

2009年05月05日

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5月2日、忌野清志郎の死去を知らされたこの日、もう一つの訃報が伝えられました。
日本初ピュリツァー賞・長尾 靖さん死去 (朝日新聞5月3日)
元毎日新聞カメラマンの長尾 靖さんが亡くなっていたことが2日わかりました。78歳の孤独死だったそうです。
1960年10月12日、浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件を撮影。
所謂「決定的瞬間」を捕らえた写真で翌61年ピュリツァー賞(写真部門)を受賞。
報道写真史には必ず取り上げられる有名な写真となりました。
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〜世界写真全集 第3巻 フォトジャーナリズム 178頁 集英社

事件の顛末は沢木耕太郎の大宅賞受賞作「テロルの決算」に詳しい。
teroru-2
・テロルの決算・
 沢木耕太郎 著 1978年 文藝春秋
17歳の右翼少年山口二矢(おとや)に自立したテロリスト像を見出し、61歳の野党政治家の人生と交錯する瞬間までを描いたノンフィクション。
 長尾カメラマンに割かれたページはごく少ないのですが、人間像はよく伝わってきます。カメラに残っていた最後の一枚が傑作につながったため、その後報道カメラマンの基本として、「フィルムは数枚残しておけ」の教えに。僕も昔そんなことを聞いたような・・・

 


 長尾さんとは面識の持ちようもありませんでしたが、昔気質の硬派、いや無頼派カメラマンのイメージを重ねてしまいます。ピュリツァー賞受賞後、社内外の毀誉褒貶に疲れ、62年からはフリーランスになられたそうです(そんなドキュメンタリーをどこかで見ました)
生涯最高の一枚を若くして撮ってしまったカメラマンのその後の人生とはどのようなものだったのでしょうか。残していた最後の一枚で撮りたかったのは何だったのだろう。
傑作とは無縁の僕に、人生の決算について考えさせてくれるニュースでした。

じゃぁ また









(17:06)

2009年05月03日

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〜訃報に接して
忌野清志郎様、70年代フォークの時代から今日まで40年間、お疲れさまでした、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します。
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Memphis〜忌野清志郎
1991年/TOSHIBA EMI
アメリカ、テネシー州メンフィスにてMG'sとレコーディング。
この年メンフィスの名誉市民になってます!
ギターを手に、綿花畑に立つ姿はそのルーツが何処にあるかを良く語っています。(素顔の清志郎が良いです)
僕が自分の事務所を立ち上げて間もない頃のアルバムでした。
「世間知らず」・・・好きです

清志郎の声は、満たされない思いを持つ者の気持ちを代弁し、またOne & Onlyであり続けることの栄光と孤独を感じさせてくれるものでした。
いいことばかりが有る訳じゃない日々の暮らしのなかで、Bluesmanの声に肩を抱いてもらったり、背中を押されることもありました。空しさ、つらさを唄っていてもBluesの先にはいつも希望があったから・・・
kiyosiro-2











「ブルーノート・ブルース」
忌野清志郎〜Live at Blue Note TOKYO
昨年の2月から7月の映像を観る頃が出来ます
「完全復活」としか思えないステージです
ラストショーになってしまうとは・・・

今夜はずっとライブのDVDを観て、あの声を聴いていたいですね・・・
・・RCサクセションが聞こえる・・
きっと飲み過ぎてしまいます・・

たのむよ・・・明日の朝
モーニング・コールをよろしく・・・
モーニング・コールをよろしく・・・

それでは また



(15:10)

2009年05月02日

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ETC休日割引(ETC1,000円)で混雑する高速道路には乗りたくもないのですが、仕事となれば行かなければなりません。行き先は割引の恩恵も極めて少ない横須賀市。往復100kmにも満たない、すぐ近くの町へ行くのに4,000円もかかる料金体系がそもそもヘンなのですが・・
混雑を避けてちょっと早出、三笠公園に立ち寄りました。
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mikasa-2
三笠公園:横須賀市稲岡町82
日本海海戦における連合艦隊の旗艦
「三 笠」が記念艦として保存されています。艦内は日露戦争に関する資料を展示。

司令長官東郷平八郎 像と電文「皇国の興廃此の一戦にあり」の石碑






mikasa-5mikasa-6
「坂の上の雲」〜司馬遼太郎
過去ログ「松山城」につづき、また登場の司馬作品です。この秋、放送開始のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の原作本。放送が始まればここを訪れる人も増えるのではないでしょうか。クライマックスの日本海海戦は大分先の放送となりそうですが、その前に映画で観ることも出来ます。

これも再登場の
DVD「日本海海戦」
1969年 東宝作品
特撮監督、円谷英二による海戦シーンで旗艦「三笠」の雄姿を堪能出来ます。アナログ手法による特撮ですがCG処理に負けないリアリティー溢れる映像に仕上がっていて、これを観て以来いつか来たいと思っていた三笠公園でした。

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最上艦橋(ブリッジ)
東郷平八郎司令長官
加藤友三郎(参謀長)
秋山真之(参謀)
伊地知彦次郎(艦長)

それぞれの海戦時の立ち位置を示すプレート
成りきりたい方、こちらへどうぞ!

もう少しゆっくり資料も眺めてみたかったのですが、午後は撮影予定のため三笠を後にしました。
OnとOffのあいだの歴史散策「明治編」でした。


じゃぁ また

(22:19)

2009年04月24日

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このBlogも100回を迎えました。
テレビ番組の再放送というものがありますが、埋もれてしまった過去ログからアクセスの多かったものを時々再放送、いやArchiveプラスシリーズとして再掲載することに致しました(時間稼ぎの反則技です!)
今月22日から長崎の軍艦島への上陸が35年ぶりに解禁になったとのニュースをうけて・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Archives 1:「軍艦島」2007年11月7日付
 レコードプレイヤーやオープンリールデッキ。
再生してもう一度活躍の場を与えられた機械に癒やされているこの頃ですが・・
時代の流れに逆らえず手放してしまったものも沢山ありました。
時代の最先端を走っていた物もいつか必ずその地位を失ってしまいますね。
話は少し大きくなってしまいますが、最近もそんな「盛者必衰のことわり」を目の当たりにしてきました。

長崎県高島町端島・・通称:軍艦島
(確かに巨大戦艦のようなその勇姿ですが・・)
軍艦島1






月刊誌の撮影で久しぶりに長崎を訪問。空き時間に軍艦島まで足を伸ばしました。長崎港から「軍艦島クルーズ」という周遊船が出ています。長崎港内のガイドなど聞きながら30〜40分で軍艦島へ。上陸は出来ませんが近くまで船を寄せてくれるので建造物の様子はよく分かります。
軍艦島2軍艦島3軍艦島4













明治、大正から昭和へと「黒いダイヤ」石炭を求め続けた人間の果てしない欲望(失礼!)とそのエネルギーを感じました。最先端の設備を有し人口密度が東京の10倍もあったという最盛期、密集する高層アパートの窓からあふれる光・・そんな光景見たかったです。

その後のエネルギー革命で島はあっという間に廃墟へとかわってしまいました。
いま、軍艦島を「世界遺産に」という活動が始まっているようです。(産業遺産というそうです)

 石炭から石油へという変化は、フィルムからデジタルへの変化を思わせます。軍艦島の廃墟を眺めながら
僕の頭の中には、8X10カメラ、4X5サイズの引き伸ばし機、印画紙水洗機、ドライマウントプレス機・・
いろんなアナログ機々が浮かんでは消えていたのでした。

・・・・・・ 2007年11月7日記
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明日から私用で長崎へ行くことになってますが残念ながら「軍艦島」再訪の時間はないようです・・

じゃぁ また

(18:50)

2009年04月06日

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昨年もこの時期、Jリーグ開幕に向けてはやる気持ちを抑えながら
「シーズンチケット」のこと、サッカー映画のことなど書き込んでます(過去Log:2008年3月6日Ready for Football覗いてみて下さい)
そして今年もまた熱い34試合が始まりました。
urawa1
浦和Redsホームスタジアム
さいたまスタジアム2002
開幕したものの第1~2節は仕事のためスタジアムへ行けなくて4日のホームゲーム(vs大分)からの参戦となりました(サポーターは観戦ではなく参戦するもの)

ticket2009年シーズンチケット
今期からICカード化されたチケットも選択可能ですが僕は紙チケのまま。
通年指定席制(さいたまスタジアム開催分)で1シーズンをとおして自分の席が確保されています。99年から毎年更新を続け11年目に入ります


初めてシーズンチケットを入手したその年、1999年
低迷するチームはとうとうJ2へ降格という憂き目をみることに・・・
1999年11月27日浦和市〔当時)駒場スタジアムJ1最終節。90分で勝てば残留決定の試合を勝ちきれず降格決定のまま延長戦へ突入。福田選手の決めたゴールは「最も悲しいVゴール」と呼ばれました。
12月間近の冷え切った空気と静まりかえったスタジアム、Redsサポーターはあの夜まさに凍りついたのでした。
urawa1999 降格が決定した年の年賀状(2000年)
ーRe-Startー
 Not revenge,but a charenge,
to show our "Right Stuff"

この年、プロ野球では西武の新人、松坂大輔がロッテ黒木に投げ負け、リベンジを宣言。
この松坂の「リベンジ」が流行語年間大賞に選ばれました(他に雑草魂とか)
これを借用し僕の会社名と組み合わせて「リベンジ(復讐)じゃない、チャレンジ(挑戦)だ!才能の証明だ!」・これを英文(not~butの構文!)にしたものです。背番号9はミスターレッズ福田正博選手のもの。

プロとも思えないベタな絵柄とデザインにあらためて凍りつきます・・
降格決定直後でかなり動揺していたようですね。

ミレニアムとか世紀末とか言ってた2000年、年末から年始にかけてはコンピューターの誤作動(2000年)問題で大騒ぎしたものです。
この年をJ2で戦ったRedsは、またしても最終節2000年11月19日
延長戦までもつれ、土橋選手の劇的なスーパーVゴールでJ1へ復帰したのでした。
「人生楽ありゃ、苦もあるさ。涙の後には虹も出る!」です、です。

その後は次々とタイトルを獲得しながらも、昨シーズンは無冠。
いつもジェットコースターに乗せられ振り回されるかのようです。

あの降格から10年、果たして2009年シーズンは新監督のもとで
リスタートとなりました。
10年ひと昔、また新しい月日が積み重なって行きます。
周りは皆、Redsが世界No.1クラブに成る日を、たとえ何十年かかろうと本気で待ってるサポーターばかりです。
感動を少々お分けいたしますので、あなたも
いっぺんスタジアムへいらっしゃ〜い!

じゃぁ また





(17:07)

2009年03月20日

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 広告、出版の分野でもデジタル撮影がすっかり定着しました。
僕自身デジタル化のなかでの右往左往ぶりを時折、綴ってきましたが、デジタル化が最も急速に進んだのは報道写真の世界。
報道の即時性を考えれば当然で、本格化してから10年が経つそうです。システムが急速に変化して行くとき、そこに携わる人間にも急速な適応が求められます。 
 18日付産経新聞に同紙写真部長氏のコラムが載っていました。
from Editor
「便利な時代こそ貪欲に挑む」
satoデジタルの便利さに流されることなく、貪欲に表現を追求してゆくプロ意識を持てと・・

さすがに歴戦のプロの言葉には重みがあります。



実はこの氏とは旧知の間柄。
僕が駆け出しのカメラマンだった頃、大学の卒業アルバム制作の仕事で学生側のスタッフだった氏と出会いました。
僕はまだプロ意識など欠けらも持ちあわせず、彼もまだ1〜2年生、失礼ながら将来新聞社の写真部長にまで出世するような気配は、正直、感じられなかったものです(S君ごめん〜以後君とします)
その後、僕は広告カメラマンのアシスタントに転じ、君との付き合いは一度途絶えてしまいました。
卒業後、君は今の新聞社に入社、写真部に配属され報道カメラマンとして厳しいプロの世界で鍛え上げられ、多くの経験と実績を積んで今の地位に達したわけです。アナログ時代にカメラマンとしての基礎を確立し、今、統括責任者としてデジタル世代の指導に当たる君の決意が先のコラムとなったのでしょう。
さすが部長!僕にもお言葉しっかり届きましたよ。

さて、デジタルカメラが出張れば引っ込むのはアナログ(フィルム)カメラ。共に戦ってきた戦友のような奴です
F-3-3
いまでは全く出番の無くなった
NIKON F-3とモータードライブMD-4

四半世紀を共にして、持ち主と同じでメッキはすっかり剥げ落ちましたが、フィルムを詰めれば今すぐにでも働きます。
この立ち姿に歴戦の荒武者が醸し出す風格、威厳のようなものを感じてしまうのですが・・・
さてデジタル世代にはどう映っているのだろうか。


「時は流れない、それは積み重なる」
  〜サントリー クレスト12年(コピー:秋山 晶)

最近、あることがきっかけで、君はじめ当時学生だったメンバーと再会し、久しぶりに酒を飲む機会を得ました。もともと優秀な学生だった彼らはそれぞれの四半世紀を戦い抜いて皆、一角の人物になって良いサムライ顔になっていました。多少メッキが剥げようが「旧式」扱いされようが僕は自分のNIKON F-3を抱くように奴らの荒武者のような肩を、一人ひとり抱きしめてやりたくなる。

じゃぁ また



(13:12)

2009年03月16日

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河野三紀クインテット・ Live in Shinjuku J
live-1









「城」を観て「時代小説」ばかりでは
頭もチョンマゲになってしまいそう・・・なので
久々にJAZZ LIVE !
3月は13日の金曜日、新宿「J」でピアニストの河野三紀さんの
ライブを聴いてきました。
河野さんはこれまでに5枚のリーダーアルバムをリリースしているベテラン(ですよね)ジャズピアニスト。
第2作目(1994年)のジャケット写真を撮影させて頂いてからのお付き合いです。
最新作(といってももう3年経ってしまいましたが・・)の録音ではニューヨークまで同行してジャケ写を撮影いたしました。
河野さんとフロントの2管(アルトサックスの増田ひろみさん、フルートの太田朱美さん)はこの時のレコーディングメンバー。都内のライブでもこのCDの曲がよく演奏されています。
reminiscing Reminiscing 〜回想〜
Miki Kono Quintet
2006年 MIKI-RECORD
河野三紀(P)
増田ひろみ(AS),太田朱美(FL)
ルーファス・リード(Bs)
ジョナサン・ブレイク(Ds)

録音に使用したベネットスタジオはマンハッタンからハドソン川を渡ったニュージャージー側にあって、廃線になった鉄道の駅を改装したなかなか趣のあるスタジオでした。録音の合間を見てメンバーをその線路脇に並べて撮った写真をカバーに使用しました。
リハーサルと本番に立ち会い、河野さんのオリジナルやクラシックのアレンジなど、曲もすっかり憶えてしまい今でも良く聴いてます。

miki2miki3ベーシストでアルバムの共同プロデューサー・ルーファス・リード氏の自宅スタジオでのリハーサル風景

3人並ぶとレコーディングの風景がつい昨日のことのように想い出されます。



新宿「J」でのライブ、どうもお疲れ様でした。久しぶりに3人の息の合ったプレイを堪能いたしました。河野さんお誕生日おめでとう、これからも良いライブを、そしてまたオリジナル貯まったらCD第6弾を!
いつもクールなひろみ姉さんは、ついにアルバム発表だそうで期待してます。カメラマン要りませんかぁ?
新星、朱美さん美しく時にワイルドに吠えるフルート!益々の活躍を。
いやぁ、生音ってホントにいいものですね


じゃぁ また


























(18:21)

2009年03月07日

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かみのやま3上山(かみのやま)城
別名:月岡城
山形県上山市元城内3-7
築城:1535年
1982年郷土資料館として再建
(模擬天守)


山形からJR奥羽本線で3駅、上山温泉駅で下車。
往きの新幹線の車窓からその存在を確認していた上山城へ。山形城に続いて一日で2城を観る事が出来ました。
奥羽本線に沿って南北に通っているのが羽州街道.
司馬遼太郎「街道をゆく」にも取り上げられています。
kaido7
「・・そのほぼ垂直にちかい南下道路が、四つの城下町を串刺しに連ねている。・・天童藩が二万石、山形藩五万石、上ノ山藩三万石、それに米沢十五万石である。」

「街道をゆく」司馬遼太郎
第10巻羽州街道 朝日新聞社




その上山藩三万石の旧城下町で温泉郷。その象徴として建つ上山城ですが。
 前日、新幹線の車窓から遠目に、しかも雨混じりの雪をとおしてちらっと見たときには、たいそう風情のある城に思えたのですが・・・
kamainoyana117世紀土岐氏の頃には「奥羽の名城」と称された上山城も資料が残っていないため、例によって模造の天守を載せたアイコンとしての「お城」ということになってしまいます。
全国各地に存在する模擬天守って造作が立派になればなるほど、かえって興醒めなのですね。
城主も頻繁に替わっていてちょっと憶え切れませんでした。内部は近代的設備の郷土資料館、上山温泉の歴史や蔵王の自然が紹介され、市民の郷土愛だけは確かに伝わります。
司馬遼太郎も「羽州街道」では上山の温泉宿に泊まりさらりと通り過ぎてしまっています。書かれた当時はまだ模造天守は出来ていなかったようで、氏ならこれをどう評価したでしょうか。
kaminoyana2
最上階の展望台から望む城下町と
蔵王連邦
やはり山形は温泉とスキー場ってところに落ち着きそうです。
名物「芋煮汁」もなかなか行けてましたが・・
あ、それから日本酒も!

今度はゆっくり温泉ですね

じゃぁ また



(14:14)

2009年03月06日

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yamagata-1カレンダー用のシーンを撮影(2/26)
こんな霧や小雨の合間を縫って撮影の準備が続きました。夕暮れの写真はタイミングが大事。空と室内の明かりのバランスが良いのはほんの数分間!その時この霧では・・・よぎる不安。

ところが・・・なんと
シャッターチャンスには計ったように霧も晴れて、無事・・・終了!
ほっと安堵の胸をなでおろしながら「運も実力のうち」と自画自賛のスタッフ一同でした!

翌日は雨も上がって・・・
復原事業が進行中の山形城へ。
yamagatajoumogami山形城跡
〜東大手門
1991年復原
別名:霞城(かじょう)




最上義光像
今年の山形はNHK大河ドラマ「天地人」で注目を集め街中で番宣および観光誘致のポスター、のぼりなど見かけますが・・・
主人公直江兼続が主君上杉景勝とともに、越後から会津を経て最後に落ち着いたのは米沢。現在山形県としてひとまとめにされていますが、兼続のころ山形と米沢は敵対関係にあったのです。
その山形の基礎を作ったのは最上義光(よしあき)。山形は義光を藩祖とする出羽57万石の城下町として発展しました。今日の山形市は最上義光を「山形の殿」、「虎将」と主役に据えて観光事業を展開しています。

TRNYIJIN
「天地人」  上下巻
〜火坂雅志 著 NHK出版
ドラマを見ながら読んできた「天地人」は読みが先行して下巻に入りました。300ページほど先を捲ってみると確かに直江兼続と最上義光の
「長谷堂合戦」の模様も描かれています。しかしながら義光は全くの敵役でしかも「奥羽の狐」とすっかり悪役のイメージで、山形市民としては複雑な思いではないでしょうか。

その最上義光について、実は良く知りませんでした。
今回の訪問で山形城跡にある「最上義光歴史館」を訪れて初めて知ることばかりでした。
参考になるような書籍を捜してみても、僅かに2〜3冊を数えるのみ。完全にPR不足ですね(僕の無知ですハイ!)
その中に、松本清張による短編を見付けたので取り寄せてみました。
OUU
・奥羽の二人・
 松本清張 著  講談社文庫
うち「武将不信」が最上義光と徳川家康の関係を綴ったもの。
義光の娘「駒姫」の悲劇、豊臣秀吉による秀次粛清事件の「英雄愚心」
ほか戦国時代を生きた武将の栄衰興亡と悲話10編を収録。
現在、絶版につきAmazon.co.jpで中古を取り寄せました。

より大きな力に翻弄され、結局は身を滅ぼしてゆく戦国武将の物語ですが、なんだか現代の企業や企業戦士と呼ばれるサラリーマンの人間模様にも思われて来るのでした。
さてさて我が身は、と現に戻れば、槍や刀をカメラに持ち替えて・・・どれほどの働きが出来るのやら。

じゃぁ また




(16:56)

2009年02月26日

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この年末から年始にかけて、使用頻度の下がったアナログ機器をネットオークションで売り捌いてきたのはこれが欲しかったからです。
新しいデジタル一眼レフカメラNIKON D3x、ついにGetいたしました。
機能、性能の上がった新製品を手にするのは、いつでも嬉しく、子供に戻って抱いて寝たいくらいです・・・が
D3x
NIKON D3x
ニコンFXフォーマット
CMOSセンサー(36x24mm)
有効画素数:2,450万画素
12bit/14bit Raw
TIF, Jpeg


それにしても、実売価格約80万円!とは・・同時購入の広角ズームレンズや周辺機器を入れてざっと100万円は楽じゃありません、まったく。
D3+14
D3xに取り付けた
Nikkor AF-S 14~24mmF2.8

さらに高解像度の写真データを提供出来るのも結構ですが・・・




かつて、フィルムの時代(ついこのあいだのことですが・・)にもセットで100万円を越えるカメラはありました。
たとえば6x6サイズのHASSELBLADや4x5inchサイズのSINAR、Linhofといったカメラです。そういったカメラを所有し使いこなすことが、プロフェッショナルの証しでもあったわけです。
ただ、そういうプロ機材というものはメンテナンスをしながら10年〜20年と使い続けられる、良く手に馴染む道具でした。

 昨今のデジタル革命とやらに乗せられてしまってからというもの、最新のカメラも3年目にはすっかり型落ちの旧製品となり、5年も経ったら査定額はゼロ!。減価償却も間に合わず、新機種やソフトもアップデートというサバイバル買い物競争を強いられます。
D3x-2ぴかぴかの新品、さてあと何年使えるのでしょうか・・
永い付き合いだったNIKON F3が懐かしいですね
F3とデジタル一眼については
過去ログ(2007年10月5日)もあります・・よろしければ

さてボヤいてばかりもいられないのでD3x君には早速働いて頂きました。
ロケ地は雪の山形!
雪原に建つ一軒の「家」を撮影。これカレンダーになります!
yamagata

夕暮れ時の撮影で身もカメラも冷え切りましたが、いつものスタッフのチームワークに助けられて良い仕事が出来ました。



翌日は山形の「城」にも行ってきました。またご報告致します。

じゃぁ また

(11:32)

2009年02月05日

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下の写真。これはなんでしょうか?
・・・・・・・・・
すぐに分かった方は写真に詳しい方ですね。
いかにも家内制手工業的な佇まいをもったこの道具は、フィルム現像用のタンクで製品名は「マスコカラータンクプロ」
撮影の済んだフィルムから現像、定着の工程を経て「ネガ」を制作するときに使う道具なのです。
プロも使っている、優秀な製品、日本製です。
masuko
MuSuKo COLOR TANK PRO.
設計、製造
グラフィック・ユニット・ワン
発売元:共同写真要品(株)
135(35mm)1〜3本用
120(ブローニー)1〜2本用
特注で4〜6本用もあり


開発したのは日本の写真家夫妻。
現像液の流動現象から発生する現像ムラを抑えるため、この特殊な構造のタンクを開発しました。製品名は奥様の名に由来するそうです。
価格は普及型の3〜5倍ほどしますが、ネガ制作に失敗は許されないのでこのタンクを愛用する写真家、ハイアマチュアが多いのです。
ステンレス製で耐久性は抜群。僕も20年以上使い続け、手に良く馴染んだ愛着のある道具だったのですが・・・

業務の完全デジタル化と暗室の閉鎖により、この現像タンク、この度手放すことに・・・
製品の優秀さは折り紙付きなので、ネットオークションで確実に買い手は付くのです。
またしても去って行く、愛しのMONO達です・・・

ではモノクロ映像が美しく写真、ネガがキーワードの「手放せない!」映画を一本!
sikei-1
・死刑台のエレベーター・
レーザーディスク版
1957年 ルイ・マル 監督作品
撮影:アンリ・ドカエ
出演:モーリス・ロネ
    ジャンヌ・モロー
    リノ・ヴァンチュラ
音楽:マイルス・デイビス



ルイ・マル監督25歳のデビュー作にして映画音楽にモダンジャズを使用する先駆けとなった作品。演奏はオリジナルクインテット解散後、渡仏中のマイルス・デイビス。
エレベーターに閉じ込められるアクシデントにより、完全犯罪が崩壊してゆく一日を追った犯罪サスペンス。
sikei-2
サウンドトラック盤
死刑台のエレベーター (LP)
マイルス・デイビス・クインテット
マイルス・デイビス(TP)
バルネ・ウィラン(TS) ルネ・ユルトルジュ(P)
ピエール・ミシェロ(B) ケニー・クラーク(Ds)
サウンドはアナログレコードで!

1957(昭和32)年頃なら、まだモノクロプリントが主流の時代。
ラストシーン。現像液の中、浮かび上がる写真!
・・刑事「写真にはネガがあるのをお忘れでしたか?」

やたらに記念撮影などするものじゃありませんね
デジタル、携帯で撮影の今ならなおさらですよ。
写真からアシがつくことって・・・
あっ!あれ早めに、削除しなっくっちゃ・・

じゃ また・・・・

(18:34)