2012年04月25日

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またオークション・アラートが届いた。
これまた登録を削除しようかと思った矢先の出来事!
800円で落札、やったぁ〜・・・とはいえ
_DSC0158












例によって皆様にとっては、どうでもいいような映画ソフト1枚、
1931年のユニヴァーサル作品「魔人ドラキュラ」、多数映画化されたご存じ!あの吸血鬼ドラキュラ伯爵のお話。
しかも一世代前のメディア、レーザーディスク版なのだ。

名称未設定 1魔人ドラキュラ
レーザーディスク版
パイオニアLDC
怪奇役者ベラ・ルゴシ主演作品
映画も古典だが、もはやレーザーディスク(直径30cm)というメディア自体、見たことがないという方のために、現行のDVDを並べておく。巨大な円盤だ!

細かいことは省く、と、私はこのレーザーディスク版映画ソフトのコレクター(もどき)だったのだ。
価格が安定し、さらに中古市場も形成された1990年代に入ってから集め始めたので、コレクターと云うには半端な1,000タイトル弱というところで終わってしまっている。
終わったのはメディアが今のDVDへと変わったからに他ならない。

今更売りに出しても、二束三文・・・なら見続けよう・・と今でも巨大な円盤をビュンビュン回しているのだよ!(もちろん新作はDVD)

ところで、怪奇映画とはいえ一応、映画史に残る「魔人ドラキュラ」だ、持っていなかった訳ではない。
dk 魔人ドラキュラ
レーザーディスク版 / IVC
内容は全く同一の作品だが、こちらは
「世界クラシック名画100撰集」の1枚として発売された物で装丁、ジャケット違いということになる。
今回入手の「ユニヴァーサル・ホラー・シリーズ」、ジャケがイラストのやつがずっとずっと欲しかったのだ。

なぜか?って・・コレクターだもの、コンプリートにしたかったのさ!
これでどうだいっ!
_DSC0146










説明省略・・・・じゃぁ また



(09:59)

2012年01月22日

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この週末、久しぶりに雨が降った。
潤いを与えるはずの恵みの雨は、雪まじりとなり、さらに悲しみの雨、いわゆる涙雨になってしまった。
数日前、旧知のモデル事務所の女性マネージャーの訃報に接していた。
冷たい雨の土曜日、多くの弔問客にまじって彼女の遺影と対面した。

翌日の今日は、レコードとCDを聴きビデオ映像を観て過ごした。
’85〜6年頃のスティングの音楽である。
早いものでもう25年、四半世紀が経過している。

あの頃、まだアシスタントだった僕は、独立を考えながらも不安な日々を送っていた。
同じ頃、立ち上がったばかりのモデル事務所があった。
代表と二人の女性マネージャーで始めた会社もやはり、先行きの不安があっただろう。
そんなハードタイムに僕たちは出会ったのだ。
他界したのは、その二人のマネージャーのうちの一人だ。
彼女はスティングが好きだった。


stingブルー・タートルの夢
The dream of the blue turtles
1985年 LPレコード
ナッシング・ライク・ザ・サン/NOTHING LIKE THE SUN
1987年  CD
なか一作('86)を挟んでメディアがLPからCD へと変わっている。
86年はCD とLPレコードの売り上げ数が逆転した年だ



1986年6月、道玄坂、渋谷ジョイシネマのレイトショー(21:00〜)で
事務所の代表、二人のマネージャーと僕の4人で席を並べて、スティングの映画 Sting / Bring on the Night を観た。ドキュメンタリーとしても素晴らしい音楽映画だった。
その3ヶ月後、僕は独立しフリーランスになった。

彼らの会社は、質の高いモデルを提供する事務所として成功し今日に至っている。
僕はモデル事務所との縁が薄くなり、連絡を取り合うこともなくなってしまった。25年前、それぞれの人生が一瞬交差して、その後はまた別々の25年を生きたと云ってもいいだろう。

彼女は病を発症後、半年で逝ってしまったという。
死期を悟ったとき、自分の葬儀に来てくれる友人知人に向けて、自筆のメッセージを残していた。たくさんの思い出の写真とともに。
なかでもスティングと並んで撮った一枚がひときわ輝いていた、
そして「やっぱりスティング最高!」と結んでいた。ずっとファンであり続けたのだ。

20年以上も会わなかったが、時々に思い出していたのは、やはりスティングの音楽でつながっていたからかもしれない。幸せな後半生だったと信じたい。
とにかく、「ずっと会いに行かなくてごめんなさい、これからはスティングを聞くたびにあなたのことを思い出します」、と写真の彼女に手を合わせた。
スティングは今もなお、輝き続けている。
長かったようで、本当に一瞬のような四半世紀だった。
心からご冥福を祈ります。


sting2 1
ブルー・タートルの夢 / スティング 
Bring on the Night  DVD
1985年制作(日本公開1986年)
ユニバーサル
公開当時は、前作の「ブルー・タートルの夢」がそのまま邦題になっていた。
派手さのない手法ながら、スティングがいう「バンド誕生の記録」を刻んでいる。
今観ても少しも古さを感じさせない、ロック・ドキュメンタリーの傑作である。 

(23:52)

2011年11月29日

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朝一番にメールソフトを立ち上げて、
いつものように、あまり役にも立たない「お知らせ」や各種の営業メールをまとめて削除しようとして、ふと手を止めた。
ふだん滅多に当たりのないYahoo!からのオークションアラート
何年か前に登録したことさえ忘れていた音楽CDが出品されたとのこと!
価格は1,000円で開始(即決1,500円)となっていて、出品後2時間ほど。
こういう場合、絶対に躊躇してはいけない!・ということを散々経験してきたので即クリック!即決価格で落札しました、ヤッタァ!
嬉しい知らせでした。
・・という、たかがCD一枚、人様にはどうでもいいようなことです
以下は興味のある方のみお進み下さい・・・
yahoo

落札したのは、1990年にBMGビクターから出た、ブルーバード栄光の遺産シリーズ(全38タイトル、CD50枚)のなかの一枚で「トミー・ドーシーとクランベイクセブン」
当時(いまも!)全タイトル一括、大人買いなど出来ず、ほそぼそと買い集めているうちに、あっさり廃盤となり、あとは中古ショップやオークションで探すはめに・・・
中でもこの一枚、もう10年くらい探していたもの。
シリーズの内容はというと、日本ではあまり人気のない、アーリージャズと呼ばれる初期のジャズからスイングまで(1917年〜1940年頃)
日本の自称(モダン)ジャズファンには、ほとんど相手にされてないジャンルです、ま、古典といっていいかな。
でもローマも、全ての芸術も一日にして成るものはなく、たまには故きを温ねてみましょうよ・・ってところです、はい。
目指せコンプリート!(あと5枚・・)
buluebird




(16:50)

2011年08月31日

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8月の半ば、世間ではお盆休み、里帰りで皆が東京を脱出するなか、
居残り組の僕は、今年もまた無駄な抵抗、小っちゃな旅へ。
昨年は確かお隣、埼玉県の行田市と羽生市でした。(羽生「田舎教師」
で、今年はというとさらにショボさ感アップの千葉県「松 戸」です。
(決して松戸がショボいとは云ってません、僕の企画が・・です)
都内葛飾区から江戸川を渡ると、そこがもう松戸市
東京のベッドタウンとして発展し、人口では千葉県第3の街(1.千葉市 2.船橋)です。
今でこそ江戸川を渡って、と簡単ですが、江戸の昔は橋がなく、通行はすべて「渡し船」でした。
かつて利根川水系に15カ所あったという「渡し場」のうち現在まで残っているのが「矢切の渡し」、松戸市矢切と葛飾区柴又を結んでいます。
まずはこれを見に行きました。

Ygiri1矢切の渡し(松戸側)
運行時間:10時〜16時
運航日:3~11月は毎日
12~3月は土、日、祝
帝釈天縁日は運行
料金:中学生以上100円
小学生50円
木立のなか薄暗く、ちょっと寂しさも・・

yagiri4柴又側から見る矢切
矢切側の鉄道へのアクセスは悪く、実際の住民の交通としてではなく、柴又観光のお客が往復で乗ることがほとんどのようでした。




この「矢切の渡し」を有名にしたものが三つありました。
80年代にヒットした歌謡曲「矢切の渡し」、また対岸の葛飾柴又が舞台の山田洋次監督作品「男はつらいよ」シリーズ
そして今回の矢切行きの直接の動機となった、明治の作家、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」です。
Nogiku2
野菊の墓  〜 伊藤左千夫
明治39年 / 新潮文庫
物語の舞台が冒頭で〜「僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切の渡を東へ渡り、小高い丘の上でやはり矢切村と云ってる所。」と紹介されていて、時々仕事で松戸方面へ来ても素通りしていた矢切を見てみたい、と思ったわけです。
実際来てみるとなるほど高台になっていて起伏に富んだ地形でした。
ご存じの通り、15歳の政夫と2歳年上の従姉民子との幼い純愛のお話で、矢切の渡しでの別れのシーンが有名です。

さらに「野菊〜」を有名にしたのが
Nogiku1
映画「野菊の如き君なりき」
〜木下啓介 監督作品
1955年:松竹作品
原作はもちろん「野菊の墓」
75 歳になった政夫(笠 智衆)が故郷を訪ね民子を悲しく懐かしむ設定になっていています。
木下監督の傑作というより、日本映画史に残る名作でしょう、未見なら是非観て下さい。
ロケーションは昭和30年とはいえ、さすがに松戸ではなく、信州の美しい風景の中で撮影されています。モノクロの映像が美しいです。

80年代にもアイドル松田聖子での映画化、山口百恵のTVドラマと再三取り上げられていますのでそちらでご存じの方も多いかも知れません。

Nogiku3最後に「野菊の墓文学碑」
それにしても昨年の「田舎教師」といい、埼玉、千葉の川沿いの村での悲しい悲しいお話ですね。
なんか楽しくなれることないのかいってことで
対岸へ渡って、葛飾柴又も歩いてきました。
「寅さん」についてはまた今度。

やっぱり僕には東京の方が・・おっと、「それを云っちゃぁお終いよ!」かな。

じゃぁ また

(22:35)

2011年08月17日

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この2枚の薄いプラスチックの板は何に使うものでしょう?
フィルムがヒントになってますが・・・
_DSC0101

最近はカメラと云えばデジタルカメラのことになっていて、もうフィルム自体を見たことがないという世代も登場して来そうです。
僕も35ミリのフィルムを使った記憶がそろそろ怪しくなってます。
で、この道具といえば、最後はいつのことだったか・・・

これは「フィルム引き出し器」、または「フィルムピッカー」といって、パトローネに巻き込んでしまったフィルムの先端をもう一度引き出すための道具です。通称「ベロ出し」

どういう状況で「ベロ出し」が必要になるかというと、たとえば途中まで撮影したフィルムを一度カメラから抜き、あとでもう一度残りを使いたい・・・が先端を巻き込んでシマッタァ!などです。

まずは実際の使い方
_DSC0104このようにフィルムの先端部を巻き込んでしまっても、またはそれで困っている人を見かけたら、
慌てず騒がず、マジシャンのようにすました顔で
「ベロ出し」を取り出します。



_DSC0105まず大きい方の板(ガイド板)をパトローネの隙間から差し込みます。
このように折り返しの部分まで差し込んだら、フィルムの巻心を巻き込み方向へ回転させると、パチンと音のする箇所があるので、その位置を確認し、そこで止めます。

_DSC0106さらに小さい方の板(引出し板)を、ガイド板に重ねて差し込みます。フィルムのパーフォレーション(送り穴)に引き出し器のツメが掛かります。巻心を少し巻き込み方向へ回しても良いです。



_DSC0108
あとは引出し板を引き出すと、フィルムの先端部がスルスルっと付いてきます。
ここで、歓声と拍手が起きます。目出度し目出度し。



_DSC0110これは(株)エフエルという会社の製品で、当時の定価980円。
他にも2枚のフィルムで挟み込んで引き出すタイプもあります。
で、昔はこれを持っていると、スターに成れた・・かというと
そうでもなく使う機会も2〜3度有ったか無かったか。

割とどうでもいいような、でもちょっと可愛らしい、
天使の羽のようなアナロググッズです。
お試し下さい、機会があれば・・ア、もうないか!

じゃぁ また





(20:07)

2011年05月26日

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バ  ス

もう十年あまり前のことになる。
夏に青森の三内丸山遺跡を訪ねた。縄文の遺跡見学を終えて、大きな感動と僅かな疲れを感じながら青森駅まで路線バスに乗った。
しばらく待って乗り込んだバスは三十代くらいの女性運転手がハンドルを握っていた。
特に珍しいことではなくなっていたし、業務を遂行する凜とした佇まいには好感が持てた。
車内は乗客もまばらで、バス停ごとに一人ふたりと乗っては降り、のどかに走っていた。
 
ふと気がつくと車内が少し蒸し暑くなっている。
途中で冷房が切られてしまったようだ。北国とはいえ八月の日中、何とかして欲しい。
運転手に冷房を入れるよう伝えたいと思いながら、後方の席から声をかけるのにちょっと気後れもした。
故障かもしれないし、何よりこういう場合、私はいかにも度胸がない。
あと少しのことだからと僅かに不満を感じながらも黙って乗っていた。
 
幾つ目かのバス停で、母親に手を引かれ小さい子供が降りてゆく。
その時、前方の降り口で運転手がその子に向かって何か話しかけているようだった。顔見知りだったのだろうかと、またぼんやりと見送った。
 親子を降ろして、バスが走り出すと、車内にすうっと冷気が流れてきた。冷房のスイッチが入れられたのだ。少し気持ちが和んだその瞬間、私の中で、ある推測が生まれ、すぐに確信となった。
 
 実は今降りた子供は夏風邪か、あるいは喘息の持病でも有ったのだろうか、乗車中何度も咳き込んでいたのだ。
私は気がついたもののそれ以上深く考えることもなかったが、運転手は女性らしい感性で察知し、具合を気づかい冷房を止めたのではないか。
そして降り際にも何かいたわりの言葉をかけたに違いないと。
 私は先ほどまでの自分の鈍さにヒヤリとし、度胸のなさ故の結果に少しホッとし、そして何よりも爽やかな気分になった。
職務をまっとうしながらも、ゆとりのある心づかいに、市井に生きる人間の気高い精神を見せられたような気がしたからだ。
 
青森駅で降りるとき、真相を尋ねてみる勇気は相変わらずなく、運転手と乗客としてそれぞれの日常へと引き戻されてしまった。
あの女性運転手は今もバスを走らせているだろうか。
 もう十年あまり前の、一瞬の出来事なのに、いまでもふと思い出す、心に残るシークエンスである。

GH2

*わすれなぐさ
Lumix GH-2 14-45mm


(19:53)

2011年05月13日

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rose4

5月はバラの季節。
毎年いまごろ、バラの咲く庭やバラの栽培に魅了された人々を取材、撮影する機会に恵まれます。
聞けばバラ造りは、原種に色々改良を加えながら数多くの品種を生み出し、オールドからモダンローズへ・・なんていう話についついJAZZの歴史を重ねてしまいます。
バラの種類には疎くて、相槌さえ上手に打てないのですが、JAZZの方なら無駄口のひとつも叩けるかも・・・・・・・

ということで、
今日は僕のとっておきのローズを紹介いたしましょう。

その名はローズ・マーフィー Rose Murphy(生年不詳〜1989年没)
ピアニスト=シンガー。百花繚乱の女性ヴォーカルのなかでも、ひときわ異彩を放つ褐色の薔薇です。一言で云うならベイビーヴォイス。足を踏み鳴らしながらピアノを弾き、囁くように歌い、可愛らしくユニークなスキャッティング。その個性を超えた突然変異種的ヴォーカルとスインギーなピアノプレイを一度は聴いてみて下さい。

数少ないレコーディングからまずは代表作を
rose1
Not Cha-Cha, but Chi-Chi

Verve/ポリドール/1957年
'93年の再発のLPレコード
'98年にはCDで発売になるも現在廃盤


この国内盤のジャケット帯の宣伝文句を引いておくと
「チー・チー・ガールで一世を風靡したローズの代表作!! その特異な弾き語りはブロッサム・ディアリーの黒人版である。・・これぞ面白ヴォーカルの決定版!!」
・・・となんだかイロモノ扱いが気になりますが・・・・
ブロッサム・ディアリーもやはりベイビーヴォイスの白人女性シンガー=ピアニスト。いやぁ、ローズを聴いた後では、ブロッサムが普通の人に思えてきますよ。

さらに二枚のレコードを
rose2

I Can't Give You Anything But Love(右)
DECCA/ビクター
1950年代のデッカ録音全14曲を集めた日本編集盤'82年発売
帯のコピー・・
「ミルクを飲んだ子猫チャン(!?)のようなキュートな声とスインギーなピアノが評判の楽しき歌姫ローズー・マーフィーの超貴重盤!」 となってます。シリーズ「おもしろ音楽大集合」の一枚。

JAZZ,JOY and HAPPINESS (左)
フューチャリング・スラムスチュアート
1962年 United Artists / キングレコード
そうです、ベースとハモりながらスキャットするあのスラム・スチュアートと組んだ人気盤。イロモノ芸のダブルパンチって、もう認めるしかありませんね!

と、いくら文字を並べられても分かりませんよね。
で、YouTubeに動くローズ・マーフィがアップされてましたのでリンクします。
(ちょっと音声にズレがありますが、なかなか貴重な映像かと思います。
決して音声トラブルじゃありません、これが彼女の地声なんですよ!



こんな感じなんです、サイコーでしょ!お気に召しましたか?
コメントお待ちしております、どうぞよろしく。

そこのモダンジャズマニア君たち、いかが?・・お好みじゃぁない!?
まぁ、そうでしょうネ。失礼致しました。
どうぞ、キース・ジャレットの一人よがり声でもお聞きになっいて下さいネ。

じゃぁ また




















(21:33)

2011年04月30日

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私は几帳面で律儀な人間だ(と自分では思っている)
義理堅く物事の基本と順序を重んじている(つもりだ)
そんな私が物を蒐集するとなるといろいろ苦労がつきまとう。

まず、いろはの「い」から、アルファベットならabcの「a」からきちんと揃えることになる。余談だが英単語を憶えるときには「赤尾の豆単」(古っ!)の最初のabandonから始める。そしてすぐに文字通りabandon(諦める、捨てる)することになる。

そんなことはどうでも良い、LPレコードの話だ。ジャンルは「JAZZ」
世がCDの時代からさらにネット配信へと移り変わっても、今もこそこそと中古レコード店に通っている (・・こそこそする必要はないが偉そうにも出来ない)

先日ついに30年も探していた盤を発見して驚喜した。
断っておくが私はガチガチのモダンジャズマニアではない(全てのポピュラーミュージックやクラシックのファン、気が向けば演歌でもOK)
ましてオリジナル盤に大枚はたくなどとは無縁のしょぼ〜いコレクター
(もどき)だ。

ただし、順番にはうるさい。20代に影響を受けたジャズ評論の大和明
「ジャズ歴史と名盤」を蒐集方針の拠り所としている。その冒頭、基本的レコード・ライブラリー(いいね!)の最初の一枚がこの「ジャズ・オデッセイ Vol.1/ザ・サウンド・オブ・ニューオリンズ」だったのだ。
(義理堅く順序を重んじると云ったでしょ)
odessay・・・・・・・・・・
Jazz odyssey Vol.1
THE SOUND OF NEW ORLERNS1917-1947

(CLUMBIA:JC3L30)
史上初のジャズレコーディング,1917年(シカゴ)ODJBの2曲はじめ20年代のニューオリンズ録音,サム・モーガン8曲など貴重な音源多数の3枚組。正にいろはの「い」である。
・・・・・・・・・・

輸入盤で廃盤のためなかなか出会えないまま30年が経過してしまった。
収録曲はすべて、いやそれ以上にCDで買い集めたにもかかわらず、この3枚組のレコードが手元にないためにずっと,いろはの「い」が抜けてるようで落ち着きが悪かったのだ。

日本じゃ冷遇されるアーリージャズ、しかも寄せ集めのオムニバス盤。
数万円もするモダンのオリジナル盤を偉そうに並べている店だが、500円
(税込み)という舐めきった価格設定に内心Vサインの連発だVVV!
(この店はトラッドやスイング特にフュージョンには冷淡、ゴミ扱い、
300円程度で私にとっての名盤を拾えるのだVVV!)
ワンコインで長年の念願が叶いなんだか拍子抜けだが、遠方より友来たりあるまた楽しからずや・・か?

いろはの「い」を手に入れ、目指す最後の「ん」(いろはの最後は「ん」じゃないが・・)まで中古レコード店通いが続くこととなる。

かくて律儀で几帳面で義理堅く基本と順序を重んじるコレクターの苦難の日々が続くことになる。

分かるかなぁ〜分かんねぇだろ〜なYeh~! (古っ!)


じゃぁ また





(00:27)

2011年03月28日

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久しぶりです!
まずは東北関東大震災で被災された皆様に、心よりのお見舞いを申し上げます。報道を通してもたらされる甚大な被害の模様に言葉を失い、自分の無力をつくづく感じさせられました。
被災地のことを思うと、この軽薄極まりないBlogの書き込みにためらいを感じていましたが、まずは自身の日常を取り戻すことが肝要と気付き、また続けて行きたいと思えるようになりました。
たわいない話ばかりで恐縮ですが、どうぞまたお付き合い下さいませ。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_1000560
去る3月11日、東京も相当揺れました。
幸い事務所に大きな被害はなかったのですが、石膏像が棚から落ちて真っ二つに!
これはアメリカのお土産品店でよく見かける
カリカチュア像で、ジャズの巨人 "サッチモ”
ことルイ・アームストロングです。(約40cm)
もちろん高価なものではありませんが、'97年にジャズの故郷、ニューオリンズを訪れた際、当地で買い求めた記念の像でした。

アーリージャズ愛好家、サッチモファンとしての思い、またニューヨークから列車で30時間掛けた旅と、ジャズの聖地ニューオリンズでの思い出がズシッと詰まった一品だったのです。

_DSC0129こんなつまらないモノでも幾ばくかの喪失感が漂いました。ならば震災で大切なもの全て、大切な人まで失った被災者の喪失感とは如何ばかりか、ちょっと想像を超えていて、再び言葉を失うばかりでした。
しばらく放置しておいたのですが、やっと落ち着きを取り戻し、自分自身の天災への心構え、また必ず復興する日本支援のアイコンとして、接着剤で補修してみました。不完全で痛々しい姿ながら復活し、今またサッチモスマイルで立ち上がっております。
がんばろう、ニッポン!



で、ルイの膨大な録音の中から何か一曲、勇気が湧いてくるような、人生の応援歌になりそうな曲ということで選んだのが表題の
「明るい表通りで」on the sunny side of the streetです。
1930年、世界恐慌の下で作られたレヴュー曲。
歌詞に「1セントも無くても、気分はロックフェラー・・」など世相が反映されていて、同じ通りなら、日の当たる側を歩いて、暗い時代を乗り越えて行こうよと歌いかける、今も沢山のカヴァーが聴けるスタンダードナンバーです。

アルバムは1947年のボストン、シンフォニーホールでの傑作ライブを

LA5サッチモ・アット
・シンフォニー・ホール

〜ルイ・アームストロング&ザ・オールスターズ
/ MCAビクター(Decca)
MVCR-220015~16
現在、廃盤のようですが、輸入盤か中古市場で入手出来るかも。


この日本版CD(1995年)での、故大和 明氏のライナーノートより同曲の部分を紹介しておきます。
(大和 明は僕が敬愛する数少ないジャズ評論家のひとり、2008年没)

2.明るい表通りで
「・・単に不景気を吹き飛ばすような明るい歌という通俗的な解釈ではなく、望むことなく生まれついた黒人としての数々の屈辱的な侮蔑の体験の中からルイが見極めた生き方が歌いこまれているように想えるのである。同じ道にも日向と日陰があるように、人生にも明るいときもあれば暗く悲しい、辛いときもある。でもどうせ暗く沈んで諦めるよりも、努めて気持ちを明るく引き立てるようにしようではないかとでもいっているように・・・・」 大和 明 / ライナーノートより
(素晴らしい!さすが大和さん!)

例えばそれは、モダンブルースの開祖、BBキングのステージ半ば、BBがギターと寄り添うようにして奏でるスローブルースの背後に脈々と流れるもの、黒人の長く辛く悲しい歴史を感じて思わず目頭を熱くさせるあの感覚に通じるものかも知れません。

今まで割とあっさり聞き流していた歌が、今度のことで何か違った響きを持って聞こえてくるようです。
自今この「明るい表どおりで」on the sunny side of the streetを自分自身の、また必ず復興する日本への応援歌として折に触れ流して行こうと思ってます。
もし、ご存じなかったらこの機会に聴いてみて下さい。
よろしくです。
la1-1同じくDecca時代のスタジオ録音版
Heart Full Of Rhythm
同曲の初録音(1934)を収めた
Portrait of the Artist as a Young Man(1923~1934)
1947年、NY.タウンホールでのコンサート
Complete TOWNHALL CONCERTなどでも聴けます





ということで、もう一度、「がんばろう!ニッポン」

じゃぁ また



(17:31)

2011年02月13日

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 choco
銀座へ出てみると何だか人だかりが・・・
お〜、そうか!またあれかぁ・・
3年前にも書き込んだなぁ、アーカイブ第6弾は、チョコレート。
 



・・・・・・・・・・・・・・2008年2月13日記・・・
 
また今年も菓子業界最大の商戦がやってきました。チョコレートの年間消費量の4分の1がこの St.Valentine's Dayに向けてのものだとか。
ついこのあいだクリスマスやったばかりなんですけど・・・
手作りチョコ
秋にはハロウィーンなんてものまで広まりつつあって、これもキャンディーがらみ。お菓子屋さんが便乗するのは仕方がありませんが、どれもキリスト教文化圏の伝統行事です。


日本の坊さん!元気と知恵を出して下さいよ。こっそり家族でクリスマスなんか祝ってないで・・・
仏教にもお釈迦様の誕生日、4月8日の灌仏会(かんぶつえ)別名花まつりというのがありますよ。この日は参拝者にも甘茶がふるまわれるそうですね。手始めに京都や鎌倉の寺あたりで甘い飲み物でも配って、「カップルで飲めば未来永劫、極楽まで幸せになれる」とかナントカ御託をならべて定着させましょう。
そのうち飲料メーカーが便乗してくるかもしれません。
「お釈迦になる」なんてやっぱり駄目かもしれませんが、地道な布教活動こそ大事です。
ザビエルの撒いた種は立派に育って、今じゃ結婚式とか良いとこ全部持ってかれっぱなし!がんばって下さい。

僕は映画でも観ながらまってます。
チョコレート工場・ショコラ(2000年) 
 ラッセ・ハルストレム監督作品
・チャーリーとチョコレート工場
(2005年)ティム・バートン監督作品
・夢のチョコレート工場(1971年)
  メル・スチュアート監督作品

あまりに定番ではありますが、
どの作品もチョコレートの質感が良く出ています。もともとチョコレートは質感描写に適していて、クローズアップにも耐えるフォトジェニックな素材です。観ているとカカオの香りが漂ってきそうです。
ジョニー・デップ演じる「ショコラ」での流浪の民と「チャーリー〜」でのウィリー・ウォンカ役の落差も楽しめます。「ショコラ」でギター演奏しているのはジプシー出身のジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの曲Minor Swing。サントラ盤もお勧めです。
違いを楽しむなら、リメイク版「チャーリー〜」と34年前のオリジナル版「夢の〜」の比較でしょう。完全リメイクとはいえ、アナログとデジタルの質感の違い、登場人物の設定やエンディングも微妙に変えられています。
 
音楽の方はバレンタインということで、マイルス・デイビスやチェット・ベーカーあたりでMy Funny Valentineがあちこちで流されるのでしょう。その辺りは正統派モダンファンにまかせておいて、ちょっと古くなりますが初期のスイングサウンドを紹介します。
チョコレートダンディーズ
・ザ・チョコレート・ダンディーズ
  1928〜33
(LP)
「チョコレート・ダンディーズ」はドン・レッドマン、ベニーカーターが率いたレコーディング・オールスターズ。初期スイングとは黒人スイングコンボがリードした音楽だったということを証明する一枚。日本では昭和一桁の時代です!
なによりもバンド名チョコレート・ダンディーズがいいですね。
ちょっとアンバランスな感じがミスター・チルドレン風?な響きでしょ。憶えておいて損はなし。

じゃぁ For Your Valentine!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上

3年前の記事でした。あっ!という間に時が流れて・・・いや流れない、積み重なるんだったな、時は。
読み返してるうちに相変わらずの調子に、気が滅入ってきそうで・・・・・

じゃぁ また


(18:48)

2011年01月30日

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アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ
1955〜1990
nightintunisiaA Night in TUNISIA
〜Vik:1957年4月2,8日
「チュニジアの夜」の作曲はディジー・ガレスピー。
メッセンジャーズの重要なレパートリーとなる
国内では'74年にビクター
よりRCA Jazz Spirit 1,300円シリーズとして発売。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジャズという種類の音楽を聴き始めて早々、「チュニジアの夜」(A Night in Tunisia) というちょっとエキゾチックな響きの曲名と、演奏していたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズというバンド名に惹きつけられた。タイトルとバンド名に妙にくすぐられたのだ。
早速レコード店でブレイキーの棚を漁ってみると「チュニジアの夜」というアルバムがすぐに見付かり、メッセンジャーズコレクションの最初の一枚となった。定番中の定番「モーニン」Moanin'より先だった。
続けて同時期の同じメンバーによるアルバムも順次手に入れながら、少しずつ耳、いゃ体を慣らしていくというジャズ入門コースをたどった。
JM1957

(1956年末から1957年秋までの一年間にメッセンジャーズ名義の録音が8レーベルに10枚ほどある。)

しかし!である。
このビクター版「チュニジアの夜」の日本語ライナーを読んでみると
「・・この時期のメッセンジャーズは「暗黒時代」と呼ばれる低迷期にあった」となっているではないか! ア・ン・コ・ク・・ジダイ〜!!
当時これらの国内盤はほぼ全て廉価シリーズで売り出されていて、購入しやすかったのも事実。
「さてはまがい物の投げ売り、ババ引かされた〜」・・と落胆して見捨てたかというと、実はそうでもなく、繰り返し聞き込んだ。
ひな鳥が卵からかえって最初に見たものを親だと思い込む刷り込み現象、本能行動のようなものだろうか、今でも好きで結構聴いている。

では「暗黒時代」なんて一体誰が何を根拠に云ったのか・・というと
云った(書いた)のは、今は亡き油井正一その人。ビクター盤のライナーが動かぬ証拠。またメンバーが若手中心で決定的スター不在、録音先レーベルも次々に変わり落ち着いた演奏活動が出来なかったなどというのがその理由なのだが・・・・
今でも油井さんのファンである。それでもレコードを聴く限り「暗黒時代」はちょいと言い過ぎじゃないの?‥と思う。
大物批評家も筆が滑ったか、それとも案外、確信犯的な煽りだったかもしれない。確かに行間からは支持するニュアンスが滲み出ている。
・・・いずれにせよもう時効ということだ。

ジャズ界の名門バンドであり、幾多のスタープレイヤーを輩出し続けたメッセンジャーズ。
その35年の歴史には好不調の波、山も谷もあって当然だろう。
今では、油井さんの呪縛も解かれ、ジャッキー・マクリーン、ビル・ハードマン、ジョニー・グリフィンのいたこの時期の録音も、典型的ハードバップの名演奏と再評価されているのが嬉しい。

ホレス・シルバーのいた初期、58年「モーニン」のファンキー時代、ショーターほか3管編成時代、など絶頂期のものついて今更あれこれ言うのは止しておこう。
ジャズの聴き始め、右も左も分からなかった若造には、安くてありがたかった「暗黒時代もの」、ジャズにまつわる個人的原風景にも似た1957年のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの録音こそ、谷間に咲いた(黒)百合のように、今も心に残る傑作ばかりだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
nit
A NIGHT IN TUNISIA
〜BLUE NOTE
1960年8月14日
メッセンジャーズの「チュニジアの夜」なら、モーガン、ショーター、ティモンズのこちら
ブルーノート盤が本命か。

ほかにも「クラブ・サンジェルマン」など対抗には事欠かない。
ならば暗黒呼ばわりだったビクター盤は大穴、万馬券ですな!
ちなみに、アート・ブレイキーは、競馬が好きだったらしい・・・・
(アート・ブレイキーに競馬が好きかと訊ねたら〜武市好古1992年てな本もありました)参考まで・・

じゃぁ また


(16:26)

2011年01月06日

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休憩に珈琲でも入れようか・・と思ったら
珈琲メーカー用のペーパーフィルターを切らしていました。
薄い紙のフィルター1枚が無くてコーヒーが飲めません!
(まさかティッシュじゃ代用できないし・・いや出来るかも!)、そんなフィルター1枚!薄いけど大事なフィルター・・そういえば・・
というわけで今回は、最近すっかり使う機会がなくなった撮影パーツ
フィルターのお話です。

数あるフィルターの中でも、コダック社製のラッテン・フィルター(WRATTENは開発した英国の会社名)、通称「ゼラチンフィルター」はポジフィルムでの撮影現場には欠かせないモノでした。
filter1

普通は枠に入れてレンズの前(時に後ろ)に付け、発色の微調整、色温度変換(赤く青く)ほか、ポジフィルムの色味を調整する目的に使用してきました。
緑色がかる蛍光灯照明での撮影にも欠かせず、フィルター1枚が無くて最良の結果を得られないということも起こり得ることでした。

filter2各種ゼラチンフィルター
カラーメーター(MINOLTA)
  傷付きやすく経年で劣化するので、使用頻度の高いものは時々買い換え、揃えておかなけれならない、ちょっと厄介なモノでもありました。
忘れて現場で焦ったことも・・・


ところがデジタルカメラ導入後、そのゼラチンフィルターが一部を除いて不要になりました。
カメラ側でコントロールが可能になったからです。

filter3NIKON D3Xの設定画面
感度、ホワイトバランス、
コントラスト、色調等が細かく設定可能。
これはありとあらゆる種類のフィルムとフィルターを所持しているに等しく、ちょっと前には夢のような話で、現場での心理的負担からは相当開放されました。

デジタル化の恩恵をしみじみ感じる場面です。
ただアナログ時代、経験に裏打ちされた各人各様の調整術、名人芸的手法の出番が無くなったのも事実。先輩方の凄い裏技も、ゼラチンと共に去りぬ!といったところでしょうか。

さて、そもそもフィルターとは・・・
珈琲のフィルター、エアコンや浄水器、煙草にも付いていて日常の暮らしに欠かせないものです。
日本語では「濾過器」、濾すもの。液体や気体をある基準で選り分ける、例えば園芸や調理で使う「篩」(ふるい)の役目をするものです。
必要な空気(酸素)は通し、埃や花粉、風邪のウイルスを通さないマスクなどもフィルターの良い例かも。
で、写真用フィルターが篩にかけていたのは「光」です。光は電磁波の一部ですから周波数で振り分けていることになるのですが・・・

まぁ難しい話はさておいて、
日々の暮らしのなか、入学入社や各種試験、人選においては、人の力量、器量さえ篩に掛けられるわけです。各種のランキング、好きも嫌いも篩い分け、フィルタリングに外ならない。
偏見を持って見ることを「フィルターをかけて見る」とも・・・
良いのか悪いのかフィルター!

さてさて、人生事あるごとに篩い落とされ、すっかり角は丸められ粒は揃えられ、どれもよく似た「おっちゃん」と「おばちゃん」が出来上がって・・・・

それでいいんですかぁ!!
おっと、今年も春から脱線、暴走気味ですが
よろしくお願いいたします・・・ね

じゃぁ また


















(13:51)

2010年11月27日

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先日、秋葉原のカメラ量販店で新しくレンズを購入しました。
メインカメラとして使っているニコンの、ズームレンズです。

_DSC0003AF-S NIKKOR
24〜70mm f2.8G ED

標準系ズームとしては、やや大きく重いレンズですが、描写力は抜群。
D3系カメラボディとのバランスが良く使い勝手の良いレンズです。
今や、去っていった大判カメラ用の単焦点レンズ(過去ログ)に変わって、デジタル一眼用のズームレンズが主役になってしまいました。



フィルム撮影の時代には、35ミリの仕事でもズームレンズを使用することは滅多にありませんでした。
重くて暗く(開放F値大)、性能(解像度、発色)の悪い玉ばかり・・・と個人的には避けていたものです。ところが今は・・・・
zoom2

D3Xとズームレンズ3本(14~24,24~70,70~200mm)
これでほとんどの仕事をこなしています。

まず新設計のズームレンズ群の性能が大幅に向上したことがひとつ。
またこの3本で単焦点レンズ12~13本分の画角を無段階、連続的にカバーし、機材の簡素、軽量化にも一役買っていること。
さらにデジタル一眼では出来るだけレンズ交換の回数を少なくしたいというのもズーム使用の理由。
受光素子(実際はローパスフィルター上)への埃の付着を避けたいからです。
・・と、あれこれ理由を付けてみたものの、まぁひと言で云えばズームレンズは何かと「便利」だということになるのですが・・・・

その便利さにかまけて使ってはいるものの、
本音を云えばオートフォーカスとズームレンズはいまだちょっと苦手。
オートフォーカスに付いては別の機会に譲りますが、
ズームレンズに関しては、頼り過ぎると「年月をかけて体得した、各単焦点レンズの画角と撮影距離の感覚が鈍ってしまう」
被写体に対して、一本のレンズを選び、体ごと瞬時に移動(寄ったり引いたり)して決めていた構図を指先ひとつで簡単に変更出来てしまうことで、ぎりぎりまで構図を追い求める気迫が薄れる・・ということでしょうか。
気迫などというものは個人差、心構えの問題かもしれませんが、「便利になって失うもの多し・・」と仲間内でも時々話題にしております。

では、そのズームレンズをなんとも効果的に使った例をご紹介しながら自分への戒めとしておきましょう。ただしこれはムービー、映画の世界でのお話。しかもズームレンズがまだ広く普及する以前の作品です。

それはサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督の1958年(昭和33年)作品「めまい(Vertigo)」です。
ここでヒッチコックはズームレンズを使い、高所恐怖症の主人公が感じる恐怖感、目眩の感覚を視覚化して見せました。
ズーミングとドーリー(移動)を巧みに組み合わせて得られる効果で、今でも「めまいズーミング(Vertigo shots)」と呼ばれる技法です。被写体のサイズは一定のまま、画面全体の遠近感(パース)が連続的に変化する効果のこと。
百聞は一見にしかず・・未見なら是非ご覧下さい。
memai
め ま い (Vertigo)
完全修復版
1958年 ユニバーサル
監 督
アルフレッド・ヒッチコック
主演
ジェームス・スチュアート
キム・ノヴァク

めまい効果のサンプルを
「めまい」「ジョーズ」その他から→Vertigo Shots


新しい機材を目先の効果に流されることなく使いこなすところはさすが巨匠の仕事です!
その後70年代に入ってズームレンズが一般化した頃の、安易にズーム効果(特にズームアップ)を使った作品は、今見ると安っぽく、また古臭く感じます。
これは僕たちスチールカメラマンも常に気をつけなくていけないことですね。
目先の新しさに流されるな、安易なデジタル効果も含めて!と
・・そうです、え〜ちょっと「めまい」が・・

じゃぁ また




(17:39)

2010年09月28日

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前回「城を歩く22 」で紹介した行田市の忍城からそのまま足を伸ばして、となり町の羽生(はにゅう)市へ。城は在りませんがちょいと見ておきたいものがあったのです。土地の人に尋ねたずねして、やっと見つけたのがこれ。
LT1

LT2「田舎教師像」です。
バス停にもなっていて、そのまま
「田舎教師像前」だそうです。
この辺りは東北自動車道羽生インターに近い「弥 勒(みろく)」という地区になります(三田谷かも・・?)
とてもローカルで静かなところです

羽生は明治の作家、田山花袋の小説
「田舎教師」の舞台となった町として知られており、羽生市も文化・観光の名所に小説ゆかりの場所を数カ所挙げています。名物に「田舎教師最中」とか「花袋せんべい」もあるそうです。
inaka
田舎教師〜田山花袋(新潮文庫)
明治42年に書かれた花袋の長編で、
主人公の林清三にはモデルがありました。実在の小学校教師で文学青年の小林秀三という人です。
貧しさ故に進学できず代用教員となって田舎に埋もれてしまい、さらに結核を病み空しく亡くなる・・という何とも寂しい話です。
それでも背景に、清三が歩きまわる利根川流域の情景が心に浸み入るように描かれていて、映像が浮かんで来る作品です。



教鞭を執った三田谷村「弥勒高等尋常小学校」跡地に建てられたのが先のブロンズ像だったのです。
また清三の実家は行田町の城跡の近くとなっていて、この日、先に訪れた行田市とも関わりが深い物語です。
今回はちょっと時間がなくて、行き足りないところもあり、撮りたい映像もあるのでまた近々出直してみようかと思ってます。

LT3それにしてもタイトルの「田舎教師」って今、地方の教職員に面と向かっては云い難いですよね。
云いに難いことは、カタカナでちょろっと誤魔化す広告業界の手管で
今回「ローカル・ティーチャー」ってことにしたのですが・・・・・

はい、これありがち(僕だけ)な間違いですね。これではその「地元の先生」というだけです。
首都に対して田舎という意味にするにはLocalではなくProvincialかな。
ただ、プロバンシャル・ティーチャーって・・う〜ん??


最後に利根川流域の土地らしく「ばんどう太郎」っていうファミレスチェーンでうどん食べて、帰途につきました。
そういえば「田舎教師最中」や「花袋せんべい」って何処で売ってるんですか?
羽生駅周辺ではまったく見かけませんでしたけど・・・
誰か教えて下さ〜い!

じゃぁ また


(19:44)

2010年09月01日

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世の中いろんなランキングがあるもので・・・・
「夏に旅行や遊びに行ってみたい都道府県ランキング」というのを見付けました。→こちら
1位:北海道、2位:沖縄県・・と説明の必要もないのですが
では最下位47位はというと・・「埼玉県」となっていて、やはり説明の必要なしかも知れません。

ならばと、ひねくれ者の僕は8月、世間がお盆休みのなか敢えて埼玉県へ行ってきました。
埼玉県行田市、「ゆきた、いくた」ではなく「ぎょうだ」と読みます。
町名からいきなり「重箱読み」なのです。
ここに城があります。忍城と云います。「しのびじょう」ではなく「おしじょう」です、と前置きが長くなりましたが、今日は行田で「城を歩く」です。
osijo

忍城三階櫓〜行田市郷土博物館
別名:水城、浮城
築城年:1469~86年
築城主:成田親泰
埼玉県行田市本丸17-23

一見模造天守に見間違えそうな立派な構えですが、江戸期に築かれた三層櫓を当時の絵図をもとに再建した郷土博物館(1988年再建)です。
その旨きちんと説明されていて、櫓は展示室の一部となります。
全体に立派な博物館で、実物資料を多く展示していて飽きさせません。
全国に点在する、根拠のない模造天守内に甲冑のレプリカを数点ならべてお茶を濁したようなお城型博物館もどきとは別格で、行田市の力の入れようが伝わってきました。
常設の「足袋と行田」では、行田市がかつて足袋(製造)の町だったと初めて知りました。
街の歴史と文化の象徴、アイコンとしてのお城再建の成功例でしょう。
来てみてよかった埼玉県!
そんな郷土の紹介に熱心な行田市にとって、知名度を全国的なものにする絶好のチャンス到来となったのが小説「のぼうの城」でした。

nobouのぼうの城 〜 和田 竜(小学館)
脚本「忍の城」(03年)を小説化した作品
著者小説デビュー作にして直木賞ノミネート   「本屋大賞」2位

天下統一目前の秀吉の小田原城攻め。圧倒的多数の秀吉軍に北条方の支城が次々と落ちる中、どうしても落とせない城があった。石田三成の水攻めにも持ちこたえた武州忍城。その城代は領民から「のぼう様」と呼ばれた成田長親。「のぼう」とは「でくのぼう」のことだった。今までにないタイプの戦国武将を描く。

本が売れて忍城・行田の名も広く知られるようになったと思ったら、
今度は2011年秋公開で映画化決定と行田市には嬉しいことが続きます。
犬童一心監監督作品。主演、長親役は野村萬斎、他に佐藤浩市、成宮寛貴、山口智充ほかで、この8月にクランクインしています。
その映画「のぼうの城」の公式サイトで合戦シーンのエキストラを募集してました。行田でロケか?面白そうだなと思ってよくよく見たらロケ地は北海道苫小牧とのこと。そりゃそうだと納得。
この合戦の時代、忍城にはまだ立派な櫓などなかったはずですが、さて映画ではどうなっていることやら。

さらにその忍城攻防戦という同じテーマでもう一冊。

mizuno水の城 〜いまだ落城せず
風野真知雄  祥伝社文庫
2000年刊行作品の新装版
作品の舞台、登場人物とも 「のぼうの城」と同一。どちらが先ということでもなくほぼ同じ時期に準備、執筆が進行していたものと思われます。
とりあえず読み比べてもらうしかないですね。
個人的には本来脚本目的ではない本作の方に、より映像的というか劇画調のシーン展開を感じたのですが・・・


そんなわけで、真夏の一日、灼熱の埼玉は行田に遊び、城址公園あたりをうろつきながら、
「夏草や・・・」のおもいを深く・・しているまもなくもう一カ所、隣町へと急ぎました。
次は、埼玉県羽生市からお届けします・・・

じゃぁ また












(21:52)

2010年08月29日

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ボブ・ディラン 2

ディランに付いてもう一項を追加してみたい。
(前回の)Playback3で「結局よく分からない・・」と結論したにもかかわらず・・である。誰も読まない隠れブログ故、勝手にやらせて頂く。

「転がる石のように」などというタイトルに16~7歳の少年(僕=餓鬼)は随分とドキドキさせられたものだ。曲の方は自立や放浪、反抗などを直截に煽ると云う内容でもないのだが、勝手にそういう雰囲気で捉えて、一人ときめいていた。
実のところは、レコード会社や音楽ジャーナリズムによって創り出された「ディラン伝説・神話」といったものに乗せられ、たわいなく転がされていたに過ぎない。
A rolling stone gathers no moss. 〜「転石苔を生ぜず」という云い方もその頃知った。「常に活発に動いていればいつまでも新鮮だ」・・・と
その後、上京してからはアルバイトと旅に明け暮れ、カメラマン稼業に落ち着くまで6年間も転がってしまった。
「転石〜」にはもうひとつ「職を転々と変える人間は大成しない」の意もあって、こちらの方が文句なしに正しかった訳だが後の祭りである。

さて、そのLike a Rolling Stoneは6枚目のアルバム、HIGHWAY 61 REVISITEDのA面一曲目に入っている。エレキギターに持ち替えフォークロックヘ転向したことで物議を醸した時期の三枚のアルバムのひとつだ。
folkrock
其の三枚とは
左:Bringing It All Back Home(1965)
右:HIGHTWAY 61 REVISITED(1965)
中:BLOND ON BLOND (1966)

ディランの代表作というばかりでなくロックの傑作として必ず挙げられるアルバムだ。「フォークロックとは?」と尋ねられたらこの辺を聴いてもらえば良く、リズム、メロディーとも分かり易い曲が並んでいる。
66年の2枚組 BLOND ON BLOND(写真中央) は特に良く聴いたレコードで、後にCDでも改めて買い直した。
ちなみにNHK-BSで放送され中高年を驚喜させた「BSフォーク大全集」のオープニングテーマに使われた I Want Youはこのアルバムに入っている。よくぞこれを使ってくれた!
個人的にも「若気の至り」満載の二十代を振り返ってみるときのBGMにピタッと来るサウンドである。
歌詞は今もって良く分からんが、とっても好きな良い曲ばかり・・・
と人生の坂道を転がり落ちながらも手放せない。
今夜もレコード回しては「思い出し赤面」している石ころのようなカメラマンの青春の淡い光である!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ついでながら
ndhNO DIRECTION HOME
     〜 BOB DYLAN
(DVD)
マーティン・スコセッシ監督作品
生い立ちからデビュー、そして1966年ポップスターに上り詰めるまでを、ディラン自身および関係者のインタビュー、多数の未発表を含む記録映像でたどったドキュメンタリー(2005年)

僕は伝説の1962~66年をリアルタイムで聴いていたわけではなく、後追いの追っかけ組だ。(74年のライブ盤以降が生ディランとなる)
ディラン伝説ってどこまでホントなんだよってずっと思ってました。
が、2007年に出たこのDVDを観てなるほどそうだったのか!と
30年経ってやっとスキッリしたのです。
今じゃ、詩人としてノーベル文学賞候補の噂も囁かれるディランさん!
訳分からんがまた、転がされそう・・かも

じゃぁ また



















(18:26)

2010年07月16日

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彦根藩といえば徳川譜代の大名、井伊家ということですが・・
井伊といえば、幕末雪の桜田門で暗殺される井伊直弼が有名です。
その直弼が青年時代を過ごした「埋木舎」という屋敷が残っています。
hikone3

hikone4埋 木 舎(うもれぎのや)
彦根藩主の第14子として生まれた直弼が32歳まで不遇の時を過ごした屋敷。自身世に出ることもない埋もれ木として自虐的に命名しながらも文武両道の修練を積んだところです。
後の参謀、懐刀の長野主善との出会いもこの屋敷でした。

直弼、主善ともに日本開国に向けて奔走した開明派として再評価もされているようですが、「安政の大獄」という弾圧の暗いイメージはどこまでもついて廻ります。さらに女密偵村山たか絡みの三角関係となると益々景色が悪くなるようで・・・・
hanano
花の生涯 上下
船橋聖一  講談社
1952~53年毎日新聞に連載。
井伊直弼の埋木舎での下積み時代から、藩主、大老就任、安政の大獄を経て桜田門外の変で暗殺されるまでの生涯を描く。
直弼に参謀主善、密偵村山たかが絡む歴史ロマン。
1963年NHK大河ドラマの第一作に選ばれた作品。



「歴史ロマン」と云えば何だか聞こえは良いのですが、三角関係の澱んだ雰囲気に疲れます。
大家の作品も今となっては、視点に古臭さを感じますし、特に現代の女性には受け入れ難い作品ではないでしょうか。
それならば、たか女を通した現代女性の視点で直弼を見直してみたら目から鱗がポロリと落ちるかと思って、諸田玲子の「奸婦にあらず」を読んでみたのですが・・・・・
Kanpu
奸婦にあらず 〜諸田玲子 
2006年 日本経済新聞社
2007年 新田次郎文学賞受賞作
密偵村山たかを描いた作品なので、たか女の出自がより精細に、かつミステリー仕立てになっていて引き込まれます。多賀大社など近江の名所もいきいきと描かれています。
「笠雲」「其の一日」の諸田作品ということで、大いに期待したのですが・・・・


やはり歯切れの悪い、幕末メロドラマになってしまっていて(それはそれで結構なのですが)所詮、直弼は直弼だなぁ、素材が悪いよとため息ひとつ。
(僕はどうもメロドラマが苦手のようですが・・)幕末の志士達に比べて格好悪すぎますって。

hikone5
藩祖 井伊直政像
(JR彦根駅前)
結局のところ
彦根の町が駅前に銅像まで建てて祭り上げ、全国の皆さんに知ってもらいたいのは、桜田門で首を取られてしまう独善と弾圧、好色な直弼よりも、藩祖にして勇猛な戦国武将の井伊直政の方なんだなぁ・・
と改めて納得するのでした。ただ
武者ぶりはいいけど知名度がねぇ!
なかなかうまく行かないものです。


じゃぁ また


(19:20)

2010年07月01日

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関西圏への出張ではいつも、新幹線「のぞみ」で素通りしていた滋賀県でしたが、昨年、撮影で訪れて以来すっかり近江路のファンになってしまいました。
今回も草津市で撮影終了後、以前なら京都へ戻って「のぞみ」で真っ直ぐ帰京するところを、琵琶湖線の彦根で途中下車。
姫路城につづいて国宝彦根城に登って来ました。訪問は二度目です。

hikone1彦根城 別名:金亀城
滋賀県彦根市金亀町1-1
築城:1622年(元和8年)
築城主:井伊直継
徳川四天王の一人井伊直政が関ヶ原の軍功により18万国で近江沢山城に入城。
その後直継の代に沢山や大津など近隣の城郭を破壊してその資材を使い、琵琶湖畔彦根山に築城。
天守は昭和27年国宝指定、姫路、松本、犬山とともに国宝四城のひとつ。
西の丸、二の丸、太鼓門、天秤の各櫓も現存の重要文化財。

「司馬遼太郎と城を歩く」彦根城編で取り上げられたのは安土城編と同じ「街道をゆく」No.24近江散歩

oumi司馬遼太郎は、関ヶ原での井伊直政の戦功、近江入国後の井伊家の治世、彦根城築城の経緯を語り、実際に琵琶湖の湖水越しに見た天守の美しさに感動し、近江建築の理想的な結晶体と褒めています。
僕も数年ぶりに彦根城に来てみて、平山城全体の佇まい、天守や櫓の持つ本物の美しさに改めて感動しました。相変わらず静かな彦根の町を歩き、関ヶ原の勝者も幕末維新の敗者となる歴史の因果を思いながら、寄り道の近江散歩でした。
hikone2

実は新幹線の車窓から、遠景ながら彦根城は見えてます。(最近知りました!)
安土城の安土山など車窓から眺める近江路の風景が以前と違ってとても身近に感じられるようになりました。
井伊家15代藩主、井伊直弼の「埋木舎」(うもれぎのや)にも寄ったので次回ご報告しましょう。

じゃぁ また


(20:03)

2010年06月19日

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先日、ほぼ3年ぶりに撮影現場に6x6判カメラ、ハッセルブラッドを持ち込みました。
オヤ珍しい、フィルムで撮影?・・・ではなくて
ハッセル自身が被写体、小道具のカメラとしての貸し出しだったのです。
_DSC0042
右:HASSELBLAD
   500CM

左:HASSELBLAD
   553ELX


レンズ:CARL ZEISS
Planar80mmF2.8
Planar 100mmF3.5



ブローニー(120)タイプのフィルムを使う中判カメラの定番中の定番。
世界中で使われてきたスウェーデン製の名機です。
レンズはドイツの名玉、カールツァイス社製プラナーやゾナー。
高価なカメラの代名詞でもあり、基本の500CM(写真右のセット)の正規輸入品は1982年当時、50数万円でした。

中判カメラは国産品も勿論何種類かあるのですが、ハッセルブラッドを所有し使いこなすことが広告・出版の世界で写真を撮るプロフェッショナルの証、といった暗黙の了解があったのも事実。
駆け出しの頃は、現場での箔付けに仲間同士で貸し借りしたものです。
(国産B社、M社製をプアマンズハッセルなんて憎まれ口も・・・)
また何年もかけて少しずつレンズやパーツを買い足してもきました。

やっと体裁がついた僕のセットでしたが・・・↓
_DSC0039


デジタル撮影に移行してからは、デジタル一眼レフカメラ(DSLR)がメインになって、出番がなくなってしまいました。
それで、久々の出番が先の小道具扱いです〜(アンティークか!)

ハッセルブラッド(Vivtor Hasselblad)社はデジタル関連製品も時代に先駆けて開発、発売していて今でもプロ御用達カメラであることに変わりはありません(ホントは買ってみたい)

ただちょっと、ますます(法外に)高価になってまして
カメラ本体とデジタルバックで数百万円の世界じゃ、おいそれと手は出ませんね!しかも2~3年でアップデートの買い換えじゃぁ、減価償却すら出来ませんって。
(アナログ時代は20年かけて元を取れば良かったのです)

さらに中古市場ではフィルム6x6判ハッセルの値は下がる一方で、まともな値は付きません。
まだまだいい調子で現役続行も可能なのに、機材棚でケースごと行き場をなくしてる歴戦の友、ハッセルブラッドよ・・
老兵は死なず、ただ・・・・え〜(涙)

じゃぁ また


(17:24)

2010年05月31日

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事務処理用のパソコンをiMacに替えました。
最強最速のマシンも、あっという間にロートルマシンに成り下がるパソコンの世界。2年前を思い出しながら・・・Archivesシリーズ第5弾。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2008年4月11日記

Viewer 以前(と云ってもつい最近まで)は、こんな感じで作業してました。
現像所(プロラボ)で現像の済んだポジフィルムを受け取って、チェック、セレクト後、お届けして完了。
使う道具はライトボックス、ルーペ、ダーマトグラフ、あとハサミくらいかな。シンプルかつローコスト!

デジタルフォトになってからデスクトップも様変わり。
パソコンとの付き合いを強いられます。

こんな感じです。
MyMac先月、新しいMacとモニター(EIZO)導入しました。周辺機々、ソフトの入れ替えなどで、100万円をオーバー、それでも数年後にはデジタルカメラともども買い換えでしょう。OSとソフトのミスマッチにも悩まされます。

「アップデートってホントに必要なんですかぁ?」・・
・・デジタル信号はONとOFF・・
増えるオンタイムに反比例のオフタイム・・

ONとOFFの間で、右往左往のこの頃です・・

じゃぁ また

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今月、リースで使ってきたPower Mac G4を返却。
その代わりが新しいiMac。
データの転送、増設したハードディスクの取り外しなどで半日かかりました。もう、ず〜っとON TIME(ノーギャラ)なんだよなぁ
このBlogのサブタイトルも変えなくっちゃ・・・

今、こんな感じです
desk






じゃぁ また


(21:27)